味付け。
雑貨は 人の暮らしに彩を添え、自分らしく住まいたいと願う人にとって無くてはならないものだと思います。人それぞれに趣味趣向があり、その意味合いを知ることは 自分と向き合い、長い年月をかけて 気持ちよく生きていこうとする人だけが迎えられる 目に見える幸せだと思います。だから、飾るための雑貨は いつの時代も必要です。自分だけができる 人生の味付けのようなものですから。
雑貨は 人の暮らしに彩を添え、自分らしく住まいたいと願う人にとって無くてはならないものだと思います。人それぞれに趣味趣向があり、その意味合いを知ることは 自分と向き合い、長い年月をかけて 気持ちよく生きていこうとする人だけが迎えられる 目に見える幸せだと思います。だから、飾るための雑貨は いつの時代も必要です。自分だけができる 人生の味付けのようなものですから。
40年ほど前、インテリアに興味を持ち始めて間もない頃。何を参考にするべきかを求めて よく書店に通いました。その時出会ったのが「junk style」という洋書でした。日本のインテリア雑誌は女性向けであり どれも似通ったものばかりで、今の流行りのインテリアを紹介することに躍起になっていて、参考にすることはありませんでしたが この洋書はまるで求めていた感覚をそのまま代弁してくれているような本でした。古いものと一緒に暮らそうと思っていた矢先にこの本に出会ったことで 後にも先にも 変わることのない自分好みのインテリアの指針を見つけてしまったのです。
その本をずっと眺めていて 気付くことがありました。それは どんなものでも必ず古くなる。でも、古くなる過程で魅力を増していくものには ちゃんと初めからその素質がある。それを見極めて取り入れることで、この本のようなインテリアの中で暮らせるのだろうということです。家も家具も そこで暮らす人でさえ歳を重ねれば古くなっていきます。物理的にも 時代感覚的にも同様に古くなっていきます。でも、その洋書は 40年ほどの時を経てなお、古さを感じません。そういうインテリアの概念は 変わらないってことなのです。一方で、40年前のインテリア雑誌などは 見るに堪えない感覚です。一周回って、素敵だと感じる部分もあるかもしれないけれど ただただ古臭く感じるだけです。それでは参考になるはずありません。だって、暮らしは長い間続いていくのですから。暮らしているうちは 好きなインテリアに囲まれて、その暮らしに似合う自分でいられることが 生きると言いうことなのですから。
思えば 「junk style」というのはガラクタをインテリアに取り入れるという 見てくれや形ではありません。古くなっていくものを理解し、共に成熟していくという生き方なのだと気付くのです。
この歳になると 生活のリズムが決まってきて、朝起きるところから 寝るまでが同じことを繰り返して毎日が過ぎてゆきます。若いころなら 変化する暮らしにも抵抗はありませんでしたが、この毎日の繰り返しができていることに この上ない安心を覚えます。時々は 新しい事柄に感動したりして そういうのもいいなと思ったりするけれど、基本 変わらない毎日が送れることが 一番いいと思えるのです。
お店を始めた時から ずっと言い続けていますが 流行にとらわれて、暮らし方が変わることほど無駄なことはないと 今でもそう思います。好きなものは ずっと好き。そう思える自分は悪くないと思うのです。あの人 頑固。と言われようが一向にかまいません。そのほうが人としての魅力にあふれていると思うからです。単純に言えば 好みがころころ変わる人に 私は興味がわかないのです。人の魅力とは 誰かの受け売りで成り立つものではなく、その人の想いや言葉の中に 感じることができるものだと思うのです。そうは言っても 生き方は人それぞれ。私が個人的に思うだけのことであります。
私は ほんとに好きなものが変わりません。好きになったものはずっと好き。そこに新しい好きが増えていき、自分が豊かだと感じることに向かっていけるのです。ヴィンテージのミルクガラスの食器も相変わらず大好きです。今回少しまとめて入荷しましたので ご紹介いたします。
私は収集が目的ではなく あくまでも普段から使うことが大事だと思っているので 飽きの来ない定番デザインが好きです。ミルクガラスと言えばファイヤーキングと言われがちですが パイレックスのシンプルだけどちょっと素敵な感じが好みです。
ミルクガラスといえば このジェードカラーです。ずっと憧れています。手前のカップ&ソーサーは1950年代から60年代に作られた、レストラン用の食器です。ガラスがとても分厚く、重いのが特徴。レストランのような場所では丈夫さが大事とされていたからです。プレートは 憧れを身近にしてくれた 雑貨メーカーのレプリカ品。フッテッドマグは 炭酸が似合うマグです。ビールにも似合いそう。
最後はアメリカらしいポップなデザインマグです。この素朴で おもちゃっぽさがたまらない魅力です。私も 毎朝のコーヒーをかれこれ30年近くミルクガラスのマグで飲んでいます。気が付けば そんなに長い間、朝の時間を楽しませてくれていたんだな・・・と感慨深く思うのです。
本棚は 本を仕舞うだけのものではないと思っています。勿論、たくさんの本を持っていてそれを収納するには 見やすく、取り出しやすい収納棚であるわけです。でも、本を仕舞う場所とすると 一度仕舞いこんでしまうと ずっとそのままになりがちです。時々は 読みたいものを引っ張り出したりするけれど 基本、ずっと変わらぬ景色のままで 埃をかぶっていく場所・・・となりがちです。こんなに 雰囲気があり、使い勝手のいいオープンシェルフはなかなかないのだから 本を仕舞う以外の使い道を想像したくなるのです。
例えば 毎日使うものを飾るというのはどうでしょう。食器などもその一つです。さっと取り出せて、さっと仕舞える。こんなに便利なことはありません。毎日取り出し、食事をとり、洗って 拭き上げ 仕舞うだけなので、埃もたまりませんし 何よりも 飾りながら眺められる 素敵な食器でないとならないわけです。つまり、仕舞いこむものではなく 毎日使うものは 眺めていたくなるほどのお気に入りでなければならなくなるわけです。妥協して買ったものは そこには似合わないのです。それって ものを無下に増やさないことにつながる気がするのですが・・・どう思われますか。
毎日使うお気に入りを出しやすく、仕舞いやすく、使いながら、飾りながら、眺めながら、一緒に暮らしていくのです。
キッチンは料理する場所ですが お部屋でもあります。お部屋なので 忙しく調理するだけじゃなくて 外の景色に癒されながらゆっくりとお茶を飲むこともできれば くつろげる椅子に座りながら どんな料理を作ろうか思案するのもいいはずです。リフォームセンターには 使い勝手が良く、素敵なキッチンの具体例がずらっと並んでいて、理想のキッチンをイメージしやすくなっています。ただ、調理に追われるキッチンとは違っています。まぁ、いいものを見れば夢も広がり、お金さえ出せばリフォームできるのですが 今あるキッチンも 考え方ひとつで、過ごしたくなる場所に変わるやもしれないと思うのです。
それには やっぱり音楽が流れてるってことが大事だと思います。CDでもいいし、スマホでも気軽に聴けます。テレビもいいのですが 目を奪われては 作業しながらには不向きと言えそうです。だから、やっぱりラジオです。ながら作業にぴったりなツールです。できれば レトロな鍋や食器の雰囲気を損なわないレトロデザインのラジオが良さそうです。少しいい音で聴けると、新しい音楽との出会いも期待できるでしょう。音楽がお供ならキッチンにいる時間が それまでとちょっと変わってくるのかなと思ってしまうのです。
私が若くて働き盛りの頃はバブル真っ只中。世の中の浮かれ具合には便乗できたけど、恩恵を受けることもなく過ごしてきました。でも、あの時代 様々なものにスポットが当たり、心惹かれる事柄がたくさん紹介され 知的好奇心を大いに刺激しました。そのおかげで 好きなものに出会い、自分自身を形成、体現できる気付きのようなものを探すことができました。あの時代だったからこそ 本当の自分に気付くことができたような気がするのです。生きる楽しみは外にあり、いかにしてお金をかけずに遊び歩けるかが日常の大部分を占め、出歩くからには 身なりに気を配り 高い洋服を買うことが当たり前でした。いいものを知ることが大切だったのです。でもその一方で、いいものを知れたからこその気付きに出会うことになります。それは いくらいい服を着飾り、スマートに遊ぼうと 家に帰れば寝るだけの部屋でいいのか?ってことでした。勿論、給料に見合わぬ服を買っていたので 家にかけるお金はありませんでした。それに 自分らしさとは何ぞやと自問自答しながら暮らしていたので 好きな音楽や映画や本を探すのに夢中だったもので 部屋作りにまで手が回らなかったのです。でも、だからこそ 自分が気持ちよく暮らせる部屋や家が最も大事と気付くことができたのです。家族のためとか そういうのは勿論あるけれど、何よりも自分が気持ちよくいられる場所は 自分にしか作りようがないって思ったのです。何不自由ない暮らしができればそれでいいというのも違います。家のそこここに 自分らしさがなくっちゃね。って、あれからずっと思ってます。
新しいお店の内装を考えた時、和室を生かせないかという思いがありました。引き戸のある景色は 懐かしさをもっとも感じられる風景でしたから。だから 扉の向こうには 子供の頃を思い出せるものを置いてみたいと、個人的に好きなものを集める部屋にしようと考えました。田舎で 一番好きだった場所・・・当時の駄菓子屋の入り口もガラス張りの引き戸だったことが理由だったりします。
ガラスの扉を外からのぞくと、漫画や雑誌が並んでいて ノートやちょっとした文具を押しのけて、怪しいくじ引きや安物のおもちゃなどが一番いい場所に並んでいて それはもうワクワクする世界・・・カラフルな駄菓子が暗めの店内を派手に彩って、天井からつり下がったプロマイドやお菓子のパッケージも魅力的。新製品のポスターや企業広告も、とっても重要な情報でした。とにかく 店は古くてもあふれる企業ロゴや 派手な色遣いの雑誌の表紙やお菓子のパッケージがすごく魅力的な世界を作り上げていたのです。小銭を握りしめて 今日も当たる気のしないくじ引きに興じるか、食べたい駄菓子を確実に手にするか・・・引き戸の扉の向こう側は 子供の欲望を引き出し、時に 諦めや大人の事情を垣間見せられる場所でした。でも、そんな何とも言えぬ感情を抱かせてくれたあのお店が今でも 脳裏に焼き付いて離れないのです。
新しいお店をオープンして 一週間が過ぎました。たくさんのお客様が来てくださり、お祝いのお花や差し入れを頂戴しました。本当にありがとうございます。ほとんどのお客様が「このお店のほうが好き!」と言って下さり ほんとに頑張って良かったと胸をなでおろすことができました。そもそも、パスティーユは 品物だけを売っているお店にはなりたくないと思い 始めたお店です。そのために 妥協せず内装に時間をかけるのです。少しだけ日常を離れ、かといって逸脱しすぎず 普段の暮らしが豊かになるような空間が目の前に広がっている・・・そんな場所に身を置くことで 何かを感じて気付くことや、ちょっと気分のいい暮らしが想像できたりすることは 素敵で贅沢な時間の使い方だと思います。そんな場面を目の前にし、視覚や感覚で感じたことは 普段の日常に ぱっと明るい道を照らしてくれるように感じられることもあるに違いないと思うのです。そういう気付きはお金を出しても買えないのです。自分の中にある ちょっと素敵だと感じる気持ちを大事にして欲しいと思うのです。
昨年、12月に高砂のお店を閉めて はや3か月が経とうとしています。厳しい冬の季節を越えて 春の足音が聞こえてきたこの頃・・・新店の準備もようやく目途が付き、新装開店の日程をお知らせできるところまで来ることができました。
すっかり忘れられているような気もするし、小さな小さな雑貨店にできることなど どんなことがあるだろう・・・内装の造作をしながら 脳裏に浮かぶのは そんな思いばかりでした。でも、江別に建てた家を終の棲家と決めたのと同じように その江別が少しでも魅力のある街になれたらいいなと思い始めた雑貨店も 3度目の移転となり、今度こそパスティーユにとっても 終の棲家となれるように、「面白いね。」と言ってもらえるお店になれるように 腰を据えてじっくり、ゆっくり歩みを進めていきたいと思うのです。
今度のお店は 大きな通りから少し入った場所にあり、とても静かで のんびりした場所です。そんな環境もこのお店に決めた理由で 今までのどのお店よりも 日常の何気ない時間を 雑貨を介して、より豊かな時間にしてもらえるような気がしています。
まだ雪残る足元も悪い季節ですが 今月 20日 「春分の日」に、新しいパスティーユを始めたいと思います。取り急ぎ、ご報告まで。
雑貨 パスティーユ
2025年3月20日(木)新装オープン!! 営業時間 9:30~18:00
江別市3条4丁目13-2 江別コミュニティーセンターが目の前です。
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