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2013年3月

洒落。

時代も変われば変わるものだと最近つくづく思わされます。

「今1番人気のファッションアイテムは ○○で~す。」と若い女の子が 「可愛い~やばい!」連発で あるアイテムを紹介しています。ただ、私としては理解に苦しむ組み合わせにも、「なるほど。」と妙に関心されられる場面もあったりします。組み合わせかたには 疑問だらけですが、これをつける事によって 「決めすぎないところがいいよね~」と言っているところなんかは 昔で言う、“着崩し”見たいなものと一緒じゃないか・・・と思ったりするのです。

昔の雑誌に 「達人に聞く。着崩しの極意」という特集で、『VAN』の生みの親 石津 謙介さんの極意が紹介されていました。グレイフランネルのダブルのスーツに ブルーのオックスフォードのボタンダウンのシャツに黒のニットタイ・・・なんとも シンプルでスポーティな オーソドックスな組み合わせに 年季を感じさせるいでたちでした。でも、何処が着崩しなんだ?と思い 目を移した写真には 右手にされた カシオの黒のデジタル時計が大きく写し出されていたのです。G-SHOCKが売り出される前で、今では 均一ショップで売っていそうな ただのシンプルなデジタル時計でありました。(時計店に見に行ったら確か 1000円くらいだったので 真似て買いました。)

当然、通常であれば アンティークウォッチで決めるはずのところを 安っぽいデジタル時計をあえて合わせるところに 石津さんの“着崩し”があったのです。一点豪華主義には魅力は無いけれど 一点チープ主義ってのは なかなかできるものではありません。洒落てるな・・・と思ったけれど、この人だからできる事・・・と 年季の違いを見せつけられた思いがしました。当時の私は 若造で グレイフランネルのスーツが似合うわけも無く、「いつか自分流でやってみよう。」と思うだけだったのです。

「基本を知り、正しく着崩すこと。」と私は今でもそれが正解だと思っています。それが “洒落”だと思っています。だから、今の時代の何でもありには どうにも納得がいかないのです。ファッション誌の写真そのままを着る事がお洒落とは ぜんぜん思わないのは、そこに“洒落”を感じないからです。

“洒落”って古くは 江戸っ子の“粋”に象徴されるものだと思うし、古典落語で多く語られるものだと思うのです。正当があり、それを知り あらゆる角度から見つめる事で 初めて気付くもの・・・そこに “洒落”が存在していると思うのです。ダリやピカソが賞賛されるのは 写実的に描いても人並み以上に個性があり うまいからです。そこから生み出された個性だから“洒落てる”のだと思います。

普通に暮らしていれば 洒落る必要は何処にもありませんが、お部屋を素敵にしたいと思ったり、輝きたいな・・・と思うことがあるとすれば そこが“洒落”の入り口のような気がします。この先、まだまだ長い人生(であって欲しい)、“洒落”のわかる人になりたいと 私はそう思っています。

先日、業務用ミシンの脚を見つけました。家庭用のそれよりもサイズが大きいので 古材の大きめ天板をのせました。ダイニングテーブルとしても使えますし、広い作業代としても使えそうです。思えば、私の古いものとの出会いの原点でもありました。

普段使いの食器や小物をどう組み合わせるか・・・部屋着は・・・椅子は・・・そして、会話は・・・“洒落る”のにこんなにいい材料はないと思うのです。

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想像し創造す。

先日、ヴィンテージリネンやドイリーなどたくさん入荷しました。古いものだと およそ100年くらい前のものもあるそうです。

男の私には よくわからないジャンルですが、よく見れば その1枚のクロスを作るのに 大変な時間と労力、そしていいものに仕上げたいと思う 当時の作者の気持ちは 十分伝わってきます。細い糸を使うことで モチーフはより細かく表現され 緻密な模様が浮き上がってきます。一針一針が それは気の遠くなるような作業の連続を経て 1枚の作品を生み出していくのです。すごいことだと 感心しきりです。

生み出されたものは 大切に扱われました。幾度と無く繰り返された 洗濯により生地も薄くなり、繊細だったものが より繊細さを増していきます。よく見ると 所々シミの後があるのも当然で、大切に使われてきたことの証だと私には 思えます。テーブルクロスやランナーなど様々な 形がありモチーフも様々です。

当時の 作者の暮らしや思いを想像しながら 今の暮らしで生かしてあげる・・・どんなお部屋でどんな暮らしをしていきたいか・・・想像するところから始まり、どうやって 実際に形作っていくか・・・創造していく楽しさは 誰の真似でもない 自分だけのテーマになると私は思うのです。

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読み取る力。

お店がまったりムード満点なので、いろんなことを考える時間がいっぱいあります。

「そうだ!大好きな曲を集めたCDを作ろう。」昔からの記憶を頼りに 一曲一曲書き出していきます。そして、曲のつながりを考えながら 並べていきます・・・CDをレンタルするのも大変だぞ・・・そんなことより レンタルショップにあるんだろうか・・・なにせ 古い楽曲が多く、流行歌だけではないもので、今時 無いだろうな・・・という曲ばかり。でも、何故その曲が好きなんだろう・・・外国語ばかりで 歌詞の意味も良くわかっていないのに・・・どうやら 端々の理解できる単語から連想して、曲調とダブらせる事によるイメージで好きななった一曲として 心に刻まれているようです。

歌詞も理解していないのに好きだ!なんて本当は言っちゃいけないのかもしれないけど これは もう感覚の問題。自分だけの世界。好きなものはずっと好きでいられます。

昔は 大好きな雑誌があって、欠かさず買い続けていました。ファッション・映画・アート・音楽・食・住まう事・・・などなど各号様々な特集で 随分勉強させてもらいました。好きな号もあれば 不得意な号もあり、でも 買い続けました。気に入った特集だけを買わなかった事は 思い返せばいいことだったと 今にして思います。何故なら、今もそのまま持っているからです。古い雑誌だからといって あなどれません。少なからず時代の流行は投影されていたとしても 古さを感じさせないからです。

でも、ある日。いつものようにその雑誌を中身も見ずに買って帰り、読み始めたところ いつもと何かが違うと感じたのです。何が違うんだろう・・・よくよく見ると 編集長が変わっていたのです。なるほど・・・編集長が変わったのか。そう認識して しばらくは買い続けました。でも、やっぱり以前のそれとは 違うのです。だから きっぱり買うのを止めました。ずっと買い続けていたけれど 何の未練もありませんでした。何が そうさせたのかというと・・・いくら雑誌といえども 読み物として興味を引かれるものでなければ 満足できなかったからです。買い始めた頃の ものの見方や文章表現が好きだったのに それが変わってしまう事は 同じタイトルの雑誌だとしても 全く違う雑誌に感じてしまったのです。

雑誌ですから 素敵な写真をぱらぱらとめくり読みした後は 惜しげもなく捨ててしまえるのかもしれないけれど、買い続けていた雑誌は それをさせませんでした。その編集長時代の表現したかったこと そのものに惹かれたのだと思います。

心に残る映画も そんな視点で選んでいる事が多いと思います。監督の表現したい事の あの手この手の一つ一つを読み取る事ができた時、その言いたい事が理解できた時、そして その問題に興味があった時、その映画も 一生ものの宝になります。

好きな写真も、絵も 何かを読み取る事ができた時、同じように 心に刻まれるのです。

そんな一つ一つの積み重ねが 自分という形を作っていくと思っています。正しい形かどうかは 別として、自分が納得できる自分を作っていくと思っています。

生きる喜びは そんな積み重ねの中から生まれるもののような気がしてならないのです。

もしかして 雑貨選びもそんなものなのかもしれないと思うのです。

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けっこう幸せ。

私、実は腰痛もちです。1年に1度は 腰を痛めてしまいます。ぎっくり腰などは 癖になるとよく言われますが どうやらそのようです。

だから、ソファに座る時なんかは ちょっと気をつけながら座ったりします。この冬も、雪はねの時 ついやってしまい、しばらくの間 立ち上がるのがきつかったりしました。すっかり良くなった今も、座るときは 気を配ったりするのです。

そこで、椅子を選ぶときは デザインや見た目よりも 座り心地の良さを優先します。勿論、お店で扱うものも やはり大切にしている条件は 座り心地がいいことです。以前、何脚も扱ったことのある 最高の座り心地のウィンザーチェアを探すも なかなか出会えませんでしたが ようやく 納得の椅子に出会うことが出来ました。

人によって 座り心地の好みは違うかもしれません。でも、少なくとも私にとっては あのウィンザーチェアと同じ座り心地なのです。

腰もすっかり良くなった今でも この椅子に座る時、けっこう“幸せ”を感じるのです。

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今のうち。

ちょうどこの時期、卒園や卒業式が行われ 学校の前にはたくさんの父兄の車が並んでいる光景を目にします。

そんな光景を見ていると ついこの間、うちの娘が卒園したばかりのように そのときの記憶がよみがえってきます。すでに 親の存在を煙たがるまでに成長したというのに・・・。本当に 子供の成長は早いと思わされる 春の日です。

子供が小さいうちは ほんとにあっという間です。そのときにしか出来ないことが きっとたくさんあったに違いないと思ったりします。遊びながらのお手伝いは 見ていてハラハラもしますが 小さい子供の心に何かしらの影響を与えることになったかもしれないと 今更ながら思います。だって、すっかり手伝える年頃になっても 積極的に手伝うこともない現状を垣間見ることになっているわけですから。

子供も喜んでお手伝いをしてくれるのは 小さいうちだけです(うちの場合)。そんな小さなお子さんとお手伝いごっこを楽しむのなら こんな 親子でおそろいのエプロンが一役買ってくれるに違いありません。おやつ作りの時間も 興味津々な遊びに変わりそうな気がします。

小さなお子さんがいらっしゃるとすれば、そのお楽しみは 今のうちかもしれませんよ。

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心躍るとき。

日本は広い。この時期、雪国に暮らす人ほど 切実に感じる事かもしれません。だって、ニュースでは さくらの開花宣言が聞こえてきているのに 北海道は 前も見えないくらいの猛吹雪に見舞われて・・・もうすぐ春とわかっているから なんとか耐えられているけれど・・・今年の冬は 翌朝の雪かきの事を思うと 心が折れそうになる事が何度もありました。でも、そんな 心折れそうになる事とも おさらばです。

久しぶりにアメリカからの荷物が届きました。やっぱり、何でしょう・・・・・・・こうして眺めていると 心躍ります。横文字のデザインゆえか・・・はたまた、日本にはない感覚からなのか・・・憧れていたものを両の手に包み込む事が出来るのですから。

よくよく眺めて、考えてみると こんなにも装飾的で 使い勝手が良いものが何故今の時代には なかなか見当たらないのでしょう。ひとえに、需要が無いからに他ありません。食器にお金をかける時代は とうに終わってしまっているからです。興味の対象が 何かに変わってしまったのでしょう。庶民が “食卓を華やかにしたい!”と思い描き、それに応える形で 色んなメーカーが競い合う中で いいものを作りあわなければ、これらが生まれた時代のようなものは 金輪際改めて生まれる事は無いでしょう。車や携帯は 「もういいです。」というくらいめまぐるしいサイクルで生まれているのに・・・人の心は何処に向かおうとしているのでしょうね。

私には憧れのこの食器も、実は日本に輸入されていた時期が 確かにありました。アメリカでは スーパーで大量に売られていた手頃な食器でしたが 日本は当時、円の価値が低く、おそらく3倍くらいの値段がしたのではないかと思います。それでも、便利さと食卓を華やかにしてくれるこれらの食器を買い求めた人が少なくなかったはずです。「高かったから今でも現役で使ってるわよ。」とお話を伺う事もたびたびあるからです。当時、これらの輸入食器に負けまいとして 日本の食器メーカーも素敵なものをたくさん生み出しました。それが 贈答品として 気持ちを伝えるためのものとして 重宝がられ、普及して行ったのです。

その背景には 家族で摂る食事を楽しみたいという 主婦達の思いがあったからに違いありません。(あっ!今の主婦の方にその気も思いが不足していると思っているわけではありませんよ)専業主婦が多いといわれた時代ですから 「キッチンを素敵に使いやすくしたい。」という思いは 現代よりも強かったのではないか?と思うからです。

新しい鍋を買ったとき。新しい食器を買ったとき。「何を作ろうかな~♪」という心の鼻歌が聞こえてくるような気がしてならないのです。心躍るときは 意外とこんな近くで感じられるものかもしれないと思うのです。(リネンクロスも入りました!)

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お招きしました。

春の足音が聞こえてきた矢先、ひどい天候に見舞われました。でも ようやく穏やさを取り戻し 胸をなでおろすことができました。

そんな穏やかな午後。イベント後 スカスカだった店内に 新しい商品が続々入荷し始めています。季節の変わり目とともに お店も少しずつ変わり始めているのです。

まだまだ寒さが続き、ストーブの必要な店内に お招きしたのは 明るい春の日差しのような雑貨たちです。

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お部屋の顔。

お部屋にあって いつも見てしまうもの・・・それは 時計かもしれません。忙しい毎日、時間を気にしないなんてことはめったにありません。無意識に常に気にしているものが時間なのではないでしょうか。

いつも見ている時計に期待する事って何でしょう。うちは 古いダルマタイプの柱時計なので 正確さを求める事はありません。テレビや携帯を見れば 正確な時刻がわかるので 大体の時間がわかればそれでいいのです。それに 何よりもカチコチと時を刻む音や時間を知らせる鐘の音が何にも変えがたい安らぎを与えてくれるのです。

いつも気にして見続ける時計を選ぶ時、何が大事なのでしょう。見易さは大事かもしれません。そして、インテリアに合うかどうかも大事なポイントではないでしょうか。

昔のように 時計が高価な時代とは異なり、今は安価で色んなデザインの時計があります。だから お部屋ごとのインテリアにあわせて 時計を選ぶ事が出来るのですね。ただ、安価ゆえに 探し回る苦労を思えば 「これでいいか・・・」と妥協してしまう事も多いかもしれません。

で、「いつかいい時計と出会えるかもね・・・」と思っていらした方へ・・・チョコホリックからちょっと素敵な掛け時計が登場しました。木製のフレームに 懐かしさが感じられるデザイン。時間を見るのが楽しくなりそうな気がします。

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そして、レース地に刺繍が可愛いカフェカーテン。窓辺もやはり気になる所。窓を開け放つ季節の前に 窓の模様替えも楽しくなりそうです。子供部屋にもぴったりです。

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どちらも存在感たっぷりなので、お部屋の顔になりそうな気がします。招いた時のお客さんの反応が楽しみですね。

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せっかくだから。

もの選びの基準は 人それぞれ色々です。

でも、うちがご提案したいと思っているものは “ずっと長く付き合えるもの”であります。

今まで たくさんのお客様に たくさんの商品をお求めいただきました。正直、そういうものばかりではなかったかもしれませんが このブログでも店頭でも 一貫して心の中にあるキーワードは “ずっと長く付き合えるもの”をお勧めすることでありました。

ただ、店頭では そうは言ってみても 多くの方にキョトン・・・とされることがほとんどで、汲み取ってくださる方は ほんの一握り・・・仕方の無いこととは判っているし、それが当たり前と割り切ってはいます。・・・それでも やっぱり言い続けることを止めたりはしないと思うのです。

雑貨屋ですから そういうことを伝えたい店主と 来て下さるお客様、又は このブログを見てくれている皆さんとの間にあるものは、雑貨という品物ですし、古いデジカメで撮った素人写真であります。「これ可愛い~!」と言っていただいて衝動的にお求めいただいたものには きっと それなりの役割が与えられたことでしょう。ブログの写真に於いても、「素敵だけど・・・」と思われるだけだったり、「うち好みじゃない。」と思われるしかないものだとしたら・・・やはり、品物は品物で そこに思いを込めることの空しさを感じずにはいられません。

でも、足しげく来て下さるお客様には その何かを感じていただいていると思っています。そう感じていただける方が一人でも増えて下さるように、この先も 物言わぬ“もの達”とつたない“写真”に 思いを込めて大切にしていこうと思います。

わざわざ 辺鄙な場所にあるちっぽけなお店に来ていただいて 何かを見つけようと考えていただけたとしたら・・・せっかくですから 大切に長くお使いいただけるものを見つけていただきたいと思います。そして、そういうものと出会えたら・・・せっかくですから 仕舞い込んでしまうのではなく 目に付く場所で愛しんであげてほしいと思うのです。

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