« 想像し創造す。 | トップページ | 可愛さの不思議。 »

洒落。

時代も変われば変わるものだと最近つくづく思わされます。

「今1番人気のファッションアイテムは ○○で~す。」と若い女の子が 「可愛い~やばい!」連発で あるアイテムを紹介しています。ただ、私としては理解に苦しむ組み合わせにも、「なるほど。」と妙に関心されられる場面もあったりします。組み合わせかたには 疑問だらけですが、これをつける事によって 「決めすぎないところがいいよね~」と言っているところなんかは 昔で言う、“着崩し”見たいなものと一緒じゃないか・・・と思ったりするのです。

昔の雑誌に 「達人に聞く。着崩しの極意」という特集で、『VAN』の生みの親 石津 謙介さんの極意が紹介されていました。グレイフランネルのダブルのスーツに ブルーのオックスフォードのボタンダウンのシャツに黒のニットタイ・・・なんとも シンプルでスポーティな オーソドックスな組み合わせに 年季を感じさせるいでたちでした。でも、何処が着崩しなんだ?と思い 目を移した写真には 右手にされた カシオの黒のデジタル時計が大きく写し出されていたのです。G-SHOCKが売り出される前で、今では 均一ショップで売っていそうな ただのシンプルなデジタル時計でありました。(時計店に見に行ったら確か 1000円くらいだったので 真似て買いました。)

当然、通常であれば アンティークウォッチで決めるはずのところを 安っぽいデジタル時計をあえて合わせるところに 石津さんの“着崩し”があったのです。一点豪華主義には魅力は無いけれど 一点チープ主義ってのは なかなかできるものではありません。洒落てるな・・・と思ったけれど、この人だからできる事・・・と 年季の違いを見せつけられた思いがしました。当時の私は 若造で グレイフランネルのスーツが似合うわけも無く、「いつか自分流でやってみよう。」と思うだけだったのです。

「基本を知り、正しく着崩すこと。」と私は今でもそれが正解だと思っています。それが “洒落”だと思っています。だから、今の時代の何でもありには どうにも納得がいかないのです。ファッション誌の写真そのままを着る事がお洒落とは ぜんぜん思わないのは、そこに“洒落”を感じないからです。

“洒落”って古くは 江戸っ子の“粋”に象徴されるものだと思うし、古典落語で多く語られるものだと思うのです。正当があり、それを知り あらゆる角度から見つめる事で 初めて気付くもの・・・そこに “洒落”が存在していると思うのです。ダリやピカソが賞賛されるのは 写実的に描いても人並み以上に個性があり うまいからです。そこから生み出された個性だから“洒落てる”のだと思います。

普通に暮らしていれば 洒落る必要は何処にもありませんが、お部屋を素敵にしたいと思ったり、輝きたいな・・・と思うことがあるとすれば そこが“洒落”の入り口のような気がします。この先、まだまだ長い人生(であって欲しい)、“洒落”のわかる人になりたいと 私はそう思っています。

先日、業務用ミシンの脚を見つけました。家庭用のそれよりもサイズが大きいので 古材の大きめ天板をのせました。ダイニングテーブルとしても使えますし、広い作業代としても使えそうです。思えば、私の古いものとの出会いの原点でもありました。

普段使いの食器や小物をどう組み合わせるか・・・部屋着は・・・椅子は・・・そして、会話は・・・“洒落る”のにこんなにいい材料はないと思うのです。

Photo

|

« 想像し創造す。 | トップページ | 可愛さの不思議。 »

リメイク・古家具」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 想像し創造す。 | トップページ | 可愛さの不思議。 »