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2013年6月

夏を始めよう。

明日から早くも 7月。北海道の短い夏の始まりです。

年のせいか、忙しさのせいか、なかなか季節を楽しむ気分が盛り上がりません。ダメですね。もっと季節を楽しむ余裕を持たないと・・・。大好きな季節も ぼやぼやしてたら あっという間に 過ぎてしまいそうです。

とは言っても、海や山へキャンプへGO!見たいな事は現実には難しいので、せめて・・・外でバーベキューや花火を楽しみたい!!ぐらいの気持ちです。夏の夜空を眺めながら ワイワイガヤガヤやりたいのです。

バケツに氷をたくさん入れて 冷えたビールやワインを用意して、棚からつかんだレコードとポータブルのプレーヤーを持ち出して、各々好きなグラスを選んだら・・・暑っついね~なんて言いながら・・・かんぱ~い!!

ここから夏を始めようと思います。

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欠かせない存在。

うちのお店 古いものが目立つのですが、チョコホリックを初め 膨大な数の最新雑貨メーカーの商品の中からも 仕入れをしています。

あまりにもたくさんのメーカーがあり それぞれのカタログの中にも 選びきれないほどの雑貨があります。正直、売れるものが初めからわかっていれば 何にも苦労はありません。様々なお客様がいらっしゃる中で すべての方に受け入れてもらえるものなんかは 存在しないといっていいと思います。それに、お店の雰囲気や好みに 興味の無い方にとっては 例え 他のお店で 買ってしまうものであっても目に入らないだろうな・・・ということも十分理解できることであります。だから、色んな好みを打ち出した雑貨屋が存在しているわけで、それぞれの行きつけがあるんですね。

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うちは 懐かしいものと一緒に暮らす楽しさや喜びを味わって欲しいというご提案をコンセプトにしているお店なので 最新の雑貨にも その雰囲気を持ったものを選んでいます。そこで重要なのが その時レイアウトしている古い家具だったりします。コーナーごとにお部屋のようなディスプレイをしているので その家具に 合うかどうかが 雑貨選びのポイントになっているのです。

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一人一人の暮らしを楽しくしてくれる雑貨たち・・・便利にしたい・・・お気に入りに囲まれて・・・可愛くしたい・・・個性が大事・・・そんな 雑貨好きな方々にお応えするべく 数え切れないほどの雑貨メーカーさんが存在しているのです。

そんな中から選んだ最新の雑貨も パスティーユには 欠かせない存在となっているのです。

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そこが問題。

昨夜、うちの娘 中間テストの答案を見せてくれました。テスト前の一週間、家族の時間もテレビも ほったらかして 自室にこもりずっと夜遅くまで勉強していたので、まぁ 結果はともかく頑張ってるな・・・と思っていたので 点数が楽しみではありましたが・・・

私が 学生生活を送っていた頃には 見たことも無いような点数のオンパレード・・・「頑張ったね!」と褒めてあげることしか出来ませんでしたが、自分なりに考えて行動した結果だから 心の中では 「すごいな・・・」と感心するばかりでありました。

子の親となって15年余り・・・これといって親らしいことも出来ず・・・どちらかといえば お店を始めてからは 休みの間も どこに連れて行ってあげることも出来ず・・・部活を頑張っていることに任せて 何もしてあげることもなくここまで来ました。この先も 彼女は きっと自分が考える道を歩んで行ってくれると信じるばかりです。

しかしながら、彼女に対して してあげられたことは そんなにはなかったけれど 頑張る姿は 常に見せてあげられたのかもしれないと 思ったりもしています。子の為を思ってしてあげたことが 実はありがたく思えなかったりするものじゃないか・・・と 若き頃の自分は 感じていたような気がします。親だから 子のために何かしてあげるというのは 当然のことです。でも、望まれていなければ お節介と感じてしまうものかもしれません。

難しい問題ではありますが 日々の忙しさにかまけ その部分をおろそかにしてきたのは自分であります。でも、何かに打ち込むことで 感じ取ってくれたこともたくさんあったのかもしれないと思ったりもしているのです。

子のことはそっちのけで 何かに向かい 親が頑張っている姿を見せられるのは 悪いことではないような気がします。

ただ、何に興味を持ち 何を頑張るのか・・・そこが 問題なのかもしれないと思うのです。

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さりげないこと。

「さりげない。」ってなんかいいですよね。でも、これが なかなか難しいことです。

さりげないお洒落ってあります。その人らしく、肩肘張らない着こなしのできる人。良いものをさらっと着こなしちゃう人。言葉にすると簡単ですけど これがなかなか難しい。

さりげなく手を貸すことができる人。される側が 素直にありがとう・・・と思える事。恩着せがましく感じられれば もはやそこに さりげなさはありません。バスなどで席を譲ることでさえも 難しいと感じてしまいます。

落ち込んでいる人に さりげない言葉をかけてあげられる人。望んでもいないのに 慰められる事は 逆効果になる事があります。そっとしておくのも時に大切だけど さりげない一言で救われる事もあるものです。

「さりげない。」って 案外、意識するとダメなようです。さりげなさの裏側には きっと たくさんの知識や経験(失敗や挫折や悲しみや喜び)を刻んだ心があるはずだから 自然とにじみ出てくるものなのではないでしょうか。  

さりげなさを頭で考えている時点で もはや難しい事と思えてしまいます。「さりげないこと。」をさりげなくできるようになるには まだまだいろんな経験が必要なようです。

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リアルよりイメージ。

それなりに時代を感じるものには ある共通点があると思っています。それは 現在のそれとは違う表現方法にあると思います。

例えば 昔のおもちゃ(怪獣の人形など)は 本物に似てはいても どこか違う・・・色が違うみたいなことは当たり前で 場合によっては 偽者か・・・と思えてしまうほどのクオリティだったりします。今の フィギュアなどは いかにリアルにするかみたいなことを競っていて もはやおもちゃとは言いづらい感覚を覚えます。

古いおもちゃのことを 子供が遊ぶものだから いい加減でもいいんじゃない~みたいに感じたこともありましたが おどろおどろしい怪人に ちょっとした愛嬌を持たせて 親しみやすさを表現したものだったのかも・・・と考えると、うなづけることがたくさん見つかります。見るからにリアルで怖いものは もはやおもちゃではありません。「この怪獣、おっかない先生に どこか似ているぞ・・・」と感じられたから 空想の中で物語を作って遊ぶことが出来たのです。昔のおもちゃのメーカーが それを狙って作っていたかどうかは わかりかねますが おもちゃの持つ夢見る心というのは そういう風に作られてきたような気がしてならないのです。

家庭用品にも 同じような空気を感じることが出来ます。今のように リアルに対するデフォルメではなく、リアルに対するイメージのような風潮。使う人に 感じてもらうことを大切にしたもの作りでありました。

昔はゆるく、今は厳しい。そんな言葉に置き換えると、今 仮に一つのキャラクターをイメージで表現してしまうと 偽者扱いされそうな気がします。昔は ちゃんと承認をとったものでも雰囲気が 感じられたのですけどね・・・。

世界中で 一番有名なキャラクターが 時代の違いで、いきいきと感じられるのは あまりにもリアルを追求していないからのような気がしてならないのです。

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貴重品。

人から見れば こんなもの・・・というようなものが 私の貴重品だったりします。それは 多岐にわたり、子供時分に 売っていたけど 買ってもらえなかったおもちゃだったりします。それらは いまや、異常なほどの値段で取引され とてもじゃないけど おいそれと気軽に楽しめるものでは 無くなってしまいました。

幼少の頃、怪獣ブームが起こり、変身ブームがやってきて 様々なヒーローやキャラクターが メジャー マイナー問わず たくさん生まれました。毎日のように テレビのゴールデンタイムの時間帯に 入れ替わり立ち代り登場するヒーローや悪役たち・・・子供たちに夢を・・・と大人が 真剣に作っていたその物語は ドラマチックでとても楽しいものでした。今の テレビでは考えられないような おどろおどろしい雰囲気で 暗闇にうごめく 怪人のリアルな恐ろしさは 子供の怖いもの見たさを満たしてくれるものでした。

当時は 当然のように ビデオなど無い時代。一度きりの 怪人や怪獣との戦いを見逃すまいと それは真剣に見入っていました。そんな子供たちに テレビの戦いの場面をもう一度・・・いや、何度でも 再現してもらえるように たくさんのおもちゃが生まれたのです。そして、子供たちの お小遣いでも手軽に買える安価な おもちゃもたくさん生まれたのです。子供であっても あの怪獣や怪人をもう一度 見てみたい・・・そんな期待にこたえるべく 子供雑誌には 特集が組まれ、スナック菓子には おまけとしてカードが付いてきたのです。カード欲しさに スナック菓子は 捨てられる事態が続出し、社会現象になったほどでした。

当時のそんな経験をした子供たちも 成長し、いつの間にか そんな熱も冷め まったくの不用品となってしまいました。そして、それらはいとも簡単に 捨てられてしまったのです。ひょんなことで 思い出し、確かしまってあったはず・・・と実家の押入れを探すも後の祭り・・・残っていないのが通常なのです。

そんな悔しい思いの強い人が 高額なお金を出しても 手に入れたいと思うものだから いくら純粋に好きでも 手の届かない存在となってしまったのです。今では そんな大人たちに 向けて 当時の番組の裏話やエピソードを紹介した 本がたくさん売られています。それはそれで 魅力的なのですが 古いもの好きの私にとって、やっぱり当時の雑誌の切抜きや ぼろぼろの図鑑などに魅力を感じます。“当時の”ということが大事なのです。

こんなものは 確かに誰が見てもただのごみであります。でも 自分にとっては貴重品。捨てられてしまう対象だからよけいに そう思うのです。

自分にとっての貴重品・・・机の引き出しに 仕舞っておきたいところですが 特別な扱いをしてあげたいと思うのです。そこで、貴重なものは 机の上に置いた 小引き出しの中にまとめ置きします。懸賞のバッジやら切抜きが 当時の子供たちの机の引き出しの中のように 入っています。

ものいれとして格好も良く、インテリアとしても素敵ですが 中にしまうものは 自分にとっての貴重品でありたいと 私は思うのです。皆さんが しまうものはいったいどんなものなのでしょうね。そんなお話も楽しいだろうな・・・と思うのです。

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小さな飾り棚。

「窓辺に置くような 小さな飾り棚ありませんか?」とよく聞かれます。大きな棚は スペースが無いので 窓辺を飾るくらいの棚が いいそうです。時間があるときに 作って置いてみるのですが 気が付いたら売れてしまうので また時間を作らなきゃと思うのですが・・・なかなか手がつけられません。

と思っていたら・・・登場してくれました。プラスチックで 軽く、壁にかけることも出来ます。小さな ガラス瓶とか 可愛いものを飾るのにぴったりです。光を受けて キラキラ輝いています。ミニバラとの相性も ちょっと素敵です。

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秘密のベール。

私の暮らしには 常に 机がありました。学生時代には 勉強・・・いや、好きな絵を描くのに必要な場所でしたし、社会に出てからも 書斎に憧れて 本を読んだり、好きな画家の画集を眺めたり、ジャズを聴きながら 評論本を読み 「このベーシストは 他にどんなアルバムに参加しているんだろう・・・」などと あれこれ考えを巡らせるのに 必要だったからです。

どんな場所でも 同じことをすることは出来ます。でも、テーブルで 思いをはせるのとは ちょっと違うと思っているのです。

机には 引き出しがあります。その引き出しには 色んなものが入れてあります。いつも 使うものが 引き出しを開けると 間違いなく入っていますし、めったに使わないものでも 必要なときに 見つけられるものが入っています。それに 捨ててしまうよな物と思えなかったものを入れておく場所だったりします。何年も前のものが 整理すると出てくるのはそのためです。そして、なにより 自分の場所だと 思えることが重要なのです。

親だからといって 子供の机の引き出しを開けて 勝手に覗くことは ルールというかマナー違反であります。子供にも プライバシーがあり 人知れず そっと仕舞っておきたいものや 事柄が必ずあるからです。当然 大人にもそれがあってしかるべきです。だから 子供は 親の大切なものが入っている引き出しなどを 勝手に開けないのは、本人も親には そうして欲しいという 人として暗黙のルールを守るのが当たり前と 語らずとも理解しているからです。

そう 机というのは まるで、見えないベールに包まれた 秘密の空間なのです。鍵をかけずとも 信頼という鍵のかかった 不思議な空間なのです。正直、家族に見られて 困惑するようなものは 入っていませんが、見られると 恥ずかし~(顔真っ赤)というものは 見られたくは無いのです。

家の事情が許せば きっとそんな空間が 人には必要なはずです。「ここは 私の場所。」と 家族にも認識してもらえるのです。

古い足踏みミシンの脚を使った机は私自身 昔から気に入ってるものです。雰囲気もよく 家事の合間のひと時をゆったりと過ごすことが出来そうです。机として使うために 天板が フラットだというのは必須条件です。でも、せっかくの引き出しを付けない手はありません。元の引き出しを付けるために 新しい板を近い色に合わせて塗装し、脚も黒く塗りなおしてあります。作業台としては勿論、家族にもちょっと秘密にしておきたい お茶目なものを忍ばせておくにもぴったりです。一応 鍵もかかりますが きっと大丈夫。秘密のベールが守ってくれます。

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いくつになっても。

男の人は ロマンチストが多いと聞くことがあります。実は こう見えて 私もそうかもしれないと思うことがあるのです。何を持って ロマンチストなのかと言われれば、あまりにも壮大なお話なので ここで語ることは出来ませんが、心に引っかかってくるもの・・・映画や音楽、絵画や写真・・・好きだな~と思えるものは 何かしらロマンチックなものだったりするのです。

前にも 触れた事がありますが クリント・イーストウッドとメリル・ストリープの「マディソン郡の橋」は、運命の人と出会いながらも 一緒になる道を選ばずに 悲しい別れをしてしまう男女を描いた作品。でも、それだけに終わらず 年老いて最後の時を迎えるにあたり 過去の自分を手紙に綴り、家族がありながら してしまった過ちを告白します。それを読んだ子供達は その母の事を最初は非難するのですが 読み進めるうちに 次第に 母親がその男の人に惹かれ続けていた理由を知ることとなっていきます。最後には そんな母の気持ちを理解し、遺言として 火葬にした灰を思い出の 橋の上から撒くことで 運命の人のそばへいく事を許してもらうのです・・・・・・こんな 恋、いや愛の形もあるんだな・・・と心に深く刻まれ、大好きな映画となりました。

そして、心に残るもう一本の映画・・・向田 邦子原作の「あ・うん」であります。ある一般的な夫婦と 戦場で共に生き抜いた戦友「門倉」との 友情と隠れた恋心を描いた作品であります。戦時中、アルマイト工場を経営し 軍需景気で 羽振りのいい門倉は、地方に勤めていた戦友の水田が東京に 戻るのをきっかけに 住む家の準備やら すぐに暮らしが始められるように 米や味噌まで用意して、何かと 面倒を見始めます。しばらくぶりにあう戦友との再会が 嬉しくて・・・ということもありましたが、実は 水田の奥さんのことを想っての事でありました。普通の会社勤めの水田は 羽振りのいい門倉の行為を 過分なことをしてもらって悪いな・・・と思いつつも 共に苦労してきた中で 培われた友情によるものと 思っていました。門倉も 水田の奥さんへの気持ちをぐっと押し殺し、この友情を大切にする気持ちに 何の偽りもありませんでした。ところが、門倉が一度連れて行った料亭の芸者遊びに 水田ははまってしまい 身分に合わない遊びに興じてしまいます。奥さんに苦労をかけさせてまで 身の丈に合わない遊びをするものじゃない!と門倉はたしなめるのですが 抑えていた奥さんへの気持ちを知られることになってしまいます。まずい!と感じた門倉は 水田のほうから絶交させるように 苦渋の決断をして、わざと 今までの施しは めぐんでやったものだとうそぶくのです。戦友として お互い大切に思いあう同士と思っていた水田のプライドは 打ち砕かれ 門倉との絶交を決め、芸者遊びからもきっぱり足を洗いました。本意からではなかったにせよ 奥さんへの想いが募り始めていたことで これで良かったんだと・・・門倉はあえて孤独を選んだのです。後に、あることがきっかけで 水田の心も溶け 再び友情を取り戻すことになるのですが・・・このお話のいいところは 門倉の密かな恋心であります。人は 恋をすることで わくわくドキドキ高揚するものですが 友情を壊してまで 得ようとする恋ではありません。見ているだけで 心が和んだり、相手の喜ぶ顔が見れるだけでも 嬉しくなったりするという恋心なのです。門倉役の高倉健さんの 男の切なさが感じられる後姿が印象に残る いい映画です。

実生活では こんなロマンチックなことはありません。だから 映画に音楽に絵画に写真に、ロマンチックを求めます。頭の中で 浸ることは 誰にでも出来るのですから。

だから 部屋を飾るとき、そんな場面を演出してもいいと思っています。夜は 明かりを落としてナイトスタンドを灯します。いい音楽を聴きながら 軽く一杯・・・その後は さっぱりしたアイスクリームが酔い覚ましです。

いくつになっても ロマンチックに浸りたい気分を忘れることは出来ないと 私は思っています。

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ミルクガラスのスタンドに綺麗な紫の傘・・・とても素敵なのですが それもそのはず。よく見ると 「kanebo cosmetics」の刻印が・・・さすがです。(1973年製)

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