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見るという事。

お店には いろんな人がやってきます。外観とか 雰囲気で お店の特徴を演出しているはずなのですが わざわざ車を止めて、折角ドアを開けて入ってこられたのに・・・という方が少なくありません。

どんなものを置いてる店なのか?という興味からの行動ですし、よくある雑貨店と 少し違うような気がしているので 興味のない方にとっては 「通りすがりに見てみただけ。」ということなのでしょう。

勿論、雑貨屋は 見てもらわねば始まりませんから、お気に入りが見つからないことも当然のようにあり、むしろそれは お店側の品揃えの悪さからくることだと 承知しています。しかも うちの品揃えは ある意味偏っているので 街中の雑貨店とか 量販店の雑貨コーナーしか見たことの無い方にとっては異質な気がします。あえて そうしているわけです。だから、来られる方には 出来るだけ古いものと付き合う心地よさを精一杯お伝えできれば それでいいと思っています。せめて、普段の暮らしの一つのヒントとして 思う時間を持っていただけたとしたら・・・それで十分なのです。

でも、ほとんどの方は 「見ているのに見えていない。」のです。興味のある方は 違います。よくぞ 見つけてくれました!というものをしっかりと探してくださいます。感心するばかりです。

「見ているのに見えていない。」というのは 「見るに値しないものは 認識しない。」という言い方が出来るかもしれません。私自身も 興味のないものは 見ているのに 見たという記憶がありません。よくある事ですが 時間の無駄使いです。でも、不思議と好きなもの、興味のあるものは目に飛び込んできます。人って そういう風に出来ているのかもしれません。

「どう暮らすか?」という考えも 案外同じことが言えそうな気がします。新しい家があり、便利な家電を揃えます。それが“暮らす”という上で 大事なものだと誰しもが考えます。便利で快適!!そのために 新しい家電を求めるわけです。説明を聞き、出来るだけ使い勝手のいいものを探します。しっかり見て、満足するわけです。でも、それが 暮らしの中心だとすれば、古いものにその居場所はありません。積み上げてきた思い出さえも一緒に 処分してしまいます。それが普通で 当たり前だと思います。“見ているもの”が違うのです。

一例で 家電のことをあげましたが、うちにはおよそ 近代的な家電という存在は ありません。むしろその逆。近代的な家電には 合いそうもないものばかり。暮らすということの考え方の重きの置き方が違うのです。昔ながらの 暮らし方にもたくさんいいことがあり、それを大切にしていきたい・・・そう考えているのです。

何もすべての食品を冷蔵庫に入れる必要はありません。入れなくても大丈夫なものは 蝿帳へ・・・今では 家の中に蝿がいるなんてこともなくなりましたが・・・であれば 尚好都合。現代ですから 暮らしの中の大切に思っていることを 垣間見れそうな風景だと 私は感じるのです。

いろんな方が この風景を見ています。でも、本当の意味で “見えている”人は 滅多にいないことを 少し寂しく感じたりもするのです。
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