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2018年10月

・・・だったらいいのにな。

「・・・だったらいいのにな。」そう思うことはありませんか?私は 今ふと思いました。

そんな時は たいてい物事がうまくいっていない時・・・。目に見えない力に頼って 無いものねだりをする時だったりします。そんなこと考えるより前に 一つでも何か行動を起こし、努力しなければ 何にも始まらないと分かっているにもかかわらず・・・。

経済的に恵まれている人も、恵まれた環境で育った人も、努力して社会的な立場を得た人も、幸せを絵に書いたように暮らしている人も、どんな境遇であろうとも 何かしら満たされないものを感じたとき 「・・・だったらいいのにな。」そう思う瞬間があるもののような気がします。

人がうらやむように生きている人も、その日を生きるためにもがき苦しんでいる人も きっと同じように 自分に無いものをこいねがうものが何かしらあるものなのだと思います。

そう思うのはごく自然なことで、それを得るために悩み 努力することに きっと意味があると思います。年を重ねるということは そういうことの積み重ねなんですね。いい人生とは 終わるときに初めてわかるもの。どんな境遇の人にも 平等に与えられる自分なりのものさしで計ったものが その人の満足度を表すのではないでしょうか。終わりが近づいた時、はたしてそのメモリはどこまでになるものか・・・自分は 今いったいどこに向かおうとしているのか・・・答えのない自問自答は 考えても仕方が無いのでやめることにします。

今出来ることを精一杯やるしかない。いろんなことに興味を持ち、見聞を広めて それを仕事や人とのかかわりにおいて生かしていく。日々の暮らしの喜びは そうすることではじめて感じるもの。どんな人にも 興味の先に喜びや楽しさがある。それを探す事が出来た時、「・・・だったらいいのにな。」と思うことは 少なくなっていくような気がします。お店と同じような 自宅のミシンテーブルに向かい書き綴ることは こんなことだったりするのです。

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受け継いでくれるような・・・。

私たちが大切に集めてきた食器やたくさんのコレクション・・・娘がそのまま受け継いでくれるなら 何の懸念もないのですが、娘の気持ちになってみると たまったものじゃないと言われるに違いないでしょう・・・。

親が好きなものは あくまでも親の趣味。娘には娘の趣味があるでしょうし、残されるものが多いほど 困った問題となりかねません。大切にしてきたものと知っているだけに どうするべきか悩みの種となるに違いないのです。

今は 手軽に売買できる方法があり、将来は もっと簡単便利になることでしょう。気持ちの割り切りができて 整理と幾ばくかのお金ができるのなら それも悪くはないと思うしかないのかもしれません。その場合、一流ブランドのバックだったり 本物のお宝のほうが良かったかもしれないけれど、持ち合わせたものは 古いおもちゃと 可愛い食器ばかりですから 残されるほうは大変です。珍しいものばかりではあるけれど 知識のない娘にとっては ただの古いものですから。

店番をしていて あまりにも暇だったので 今の大手の雑貨屋さんはどんなキッチングッズを販売しているのか気になって 通販サイトを見てみました。現代の暮らしにフィットするような品のいい品物がずらっと並んでいました。すべてに目を通してみたのですが 欲しいな・・・と思えるものを私には見つけることができませんでした。大手の雑貨店は 文字通りたくさんの人に支持されるお店ですから 今はこういうものが好まれるんだな・・・と参考にはなっても 自分が使っている姿は想像できなかったのです。

こういうものなら残されても惜しげなく 売ったり捨てたりできるのかもしれないな・・・いやむしろ こういうもののほうが残されたとき 喜ばれたりして・・・と考えてしまいました。本当にそうなら どちらにしても困ったものだと思いました。

どんな品物であっても 毎日毎日の食事の支度をしてくれている 自分にとってはかみさんが 娘にとっては母親が 日々の暮らしを送る中で大切にしてきたものを 簡単に 売ったり捨てたりできるものなのだろうかと考えてしまいます。。思い入れもなく買ったものを使っているならば それも自然なことなのでしょうが、長い年月の中で 伝えられたものならば きっと少なからず 受け継いでくれるに違いないと・・・。あくまでも 親の希望ではあるけれど、そういうものではないだろうかと・・・。

そう思いを託すなら 娘にとってもいいものでなくてはならないわけです。そういう選び方を無意識にしてきたのだと 今にして思うようにしています。世界の一流品でも 有名作家の作ったものでもないけれど いつの日か受け継いでくれるようなもの選びを これからもしていこうと思うのです。

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私の集めた古おもちゃは 処分される運命だと思いますけれど・・・。

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“一緒に暮らす”

私が古いものと暮らそうと決めて 最初に手にしたのが ミシンの脚にアンティークの板をのせたテーブルでした。それとほぼ同時に 頭に浮かんだのが 柱時計でした。子供の頃に聞いていた あのボーンボーンという鐘の音に 懐かしさを覚えたからです。柱時計が現役で家にあったのは幼少の頃でしたから 懐かしさを実感できるものとして 必要だと感じたのです。

最初は そういう郷愁を誘う気持ちが大きかったのですが 実際、使い始めてみると ぜんまいを巻かなければ止まってしまうし、時間の正確さにも期待できず 古いものなのだからこういうものと思い込んでいました。でも、付き合ううちに 癖やぜんまいを巻く周期などが分かってくると どこか一緒に暮らしを送っている感覚になってきたのです。

手がかかるもの。手をかけるからこそ 与えてくれるものがあるのだと実感しました。以来、ずっと一緒に暮らしています。もはや無くてはならない存在になっているのです。雰囲気がいいから・・・懐かしいから・・・そんな理由から 手にしたものではありましたが 私にとって 一番見やすい場所に掛かり、家の時間をたゆまなく進めてくれているのは 古い柱時計なのです。これからも大切にして ずっと一緒に暮らして行こうと思います。

しばらく いいものと出会えていませんでしたが ようやく新しい柱時計が入荷しました。セイコーの3週間巻き柱時計です。状態もよく しっかり動きます。棒状の鐘が2本、綺麗な和音がおとなしく、ゆっくりと時間を知らせてくれます。

お部屋の一番見やすい場所に置きたいので 動くと言うだけではなくデザインも重要です。シンプルながら ガラスのデザインがモダンで優雅です。

今までたくさんの柱時計をご紹介してきました。そのどれもが 今も時を刻み続けてくれていると思いますが どうしていることだろうと時々思います。気に入ってくださった方も誰もが 若い頃の私と同じように 大事にしっかりと腕に抱えて帰られました。精密機械だからと言うこともあるでしょうが 「壊れないように大切に使うからね。」という 無意識の気持ちの表れのような気がしています。だから “一緒に暮らす”という感覚になるのだと あらためて思うのです。

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明日はお休み。

うちのお店、数年間はお休みを設けず営業していました。いつ、思い立ったときに来て頂いても開いているお店にしたかったからです。その間、かみさんには 本当に苦労をかけたと思っています。でも、そのおかげで なんとかお店を続けることが出来ている一つの要因かも・・・と感じています。過ぎた日々は 頑張ってきた証として 今につながっています。私の勝手な方針に付き合ってくれて ありがとう。これからも頑張ろうね。

今は 月に一度のお休みの日は 一緒に出かけています。そういう時間が持てて とても良かったと思っています。明日は 月に一度の一緒のお休みです。どこへ出かけようかな・・・。

お休みの前の日は きっと誰もが嬉しい日です。今日一日頑張れば 明日は何かが待っている・・・。そんな心の持ちようが いいのですね。

エプロンを外して お出かけの準備を・・・あとは 気持ちのいい天気に恵まれますように。

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ひと針ひと針。

地震の後の 台風接近、以前までの日常と 何かが変わってしまった気がします。電気や水道が止まり、震災時に備えて行動される人たちが増えています。何かが起こってからは 遅いんだという教訓からです。備蓄できる飲料や食糧を用意する人。電気を使わずに使用できる灯りやストーブを買い求める人。何かが起こる前に 準備しておくことに 気持ちは向いています。

うちのお店は そんな方たちからは縁遠く、むしろ必要とされないものばかりを扱っているような感覚になっています。こんな時は 何もできない無力さをしみじみと感じます。電気が止まっていても 開けていてくれたスーパーマーケットのように必要とされるわけも無く、かえって お客様にご心配をおかけするような始末。仕方ありません。

でも、日々 時間は過ぎて 何もせずにはいられないものです。せめて 何かを求めて来て下さるお客様に いい時間を過ごしていただけるように 今出来ることを精一杯やっています。時間のかかるリメイクも 急がず慌てず、いいものになるように作業をしています。それは ひと針ひと針 縫い物を進めるような感覚です。これを気に入ってくださる お客様の暮らしが少しだけ 素敵になりますように・・・そう願いながらの作業です。

確かに 雑貨など無くても日々は ちゃんと流れていきます。その中で 色んな出来事があり、年を重ねていきます。今日だけを思うなら どうかいい日になりますように・・・と願うだけのことだけど、それこそ 震災に見舞われたり、事故にあったり、病気なったり、試験に落ちたり、仕事が無くなったり・・・生きていれば 色んな災いを経験します。その反対に いいこともたくさんたくさん経験して生きています。それも まるで ひと針ひと針ごとに 生きてきた証なんだと思うのです。この先、何がわが身に起こるのか・・・それは誰にもわかりません。でも、私には ミシンでダダーっと縫い進める生き方よりも ひと針ひと針大切に縫い進める生き方を選びたいと思います。

そんな生き方の背景には 自分で選んだ人と 自分が選んだものたちが必要です。ひと針ひと針縫い進めながら ゆっくりゆっくりと生きて行きたいと思うのです。

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