懐かしいもの

小旅行。

ブログも久々の更新となります。やめてしまったわけではないので どうぞ気長にお付き合いいただけると幸いです。

季節はすっかり秋深まる頃。すでに初雪の知らせも届くようになりました。お店は これまでにないあまりにも静かな環境に これまでにも増してのんびりとした時間が流れています。ストーブの暖かさも加わり ついウトウトとしてしまいそうです。

この季節は うちで過ごすことも多くなり、夜も早くやってくるので 映画を見たり、本を読んだりして 自分の心を少しだけ ワクワクと動かしたくなる好奇心をくすぐる季節でもあります。勿論、そういう過ごし方もいいのですけど、ゆっくりと雑貨を眺めながら 自分の暮らしを見つめてみるっていうのも 映画を見たり、本を読むことと同じように 楽しいことだと思います。

ちょっとだけお洒落をして、日常では味わえない 時間の流れと、発見と出合う喜びを感じる小旅行に出かけてみてください。しっかりと そのご案内をさせていただきます。

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いろいろあるけれど

3月に移転してきて はや半年が過ぎました。移転当初は 何故かたくさんのお客様が来てくださり、似つかわしくない賑やかさでしたが さすがに、夏が過ぎ 秋の気配が漂うこの頃では すっかりと元々の静けさが戻ってきています。

それでなくても この辺りの風土なのですが、車の走行音も無く、人通りもまばらで たくさんの人が住んでいるのに とても静かなのです。以前のお店は 大きな道路沿いにあったので、車の振動や騒音がそれなりにありました。そして、交通量が多いこともあり たまたま見かけて 覗かれる方もそれなりに居ましたが この場所に至っては そのような偶然に見つけてもらえる環境では まったくないのです。

普通に考えれば どんなお店でも、人が来ないと商売にはなりません。偶然であっても また来てくれるかもしれない可能性を期待して、目立つ場所にあるほうがいいに決まっていると思いがちです。SNSの影響で そうも言いきれない時代も来てはいますが、人の気持ちは 移ろうもの・・・。何が正解かは 誰にもわかりません。

でも、私は この店に出会えて心から 本当に良かったと思っています。目立たず、車通りも人通りも無く ともすれば一日話すことも無く終わってしまいそうなくらいの静かな毎日だけど、この静かな環境が 私の思う雑貨屋としてのあるべき姿だと思うのです。

私が 若い頃通っていたお店は どのお店もとても個性的で その店独自の品揃えで、休みの前日の夜から 何と出会えるかわからないワクワクを覚えながら、じっくりと自分と向き合う時間を楽しむことができました。そういう、集中できる環境の整った店ばかりでした。古いもの好きにとっては 蚤の市や骨董市も魅力に感じて 通ったりもしましたが 途中で「何か違う・・・」と感じて、全く行かなくなりました。人ごみの中で 慌ただしく探さざるを得ないことが嫌になったのです。せっかく、自分と向き合うための古いものとの出会いなのに 楽しめないのです。それは私だけかもしれませんが そういう環境では 思い描くこと以外のことに気持ちを持っていかれる気がして げんなりするのです。

だから、私が考えるお店は 静かであり、イメージすることを邪魔しないことが大事だと思っています。そういう意味で、今までのどの店よりもいい店だと思っているのです。人が来ないのも仕方ない。でも、来てくれた人に せっかくの大切な時間を一番好きな時間だと感じてもらうための環境だけは きっと自分が好きで通ってきたどのお店よりも、整っていると私は思っています。

「いろいろあるけれど 花が咲いている」

広告のコピーのセリフに 自分の暮らしを照らしてみたら・・・奥底にある自分の気持ちが少しだけ鮮明に見えてくる。そんなお店になりたいと思っているのです。

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願うなら。

インスタグラムを見ていると、特にこだわって見ているわけでもないのに レトロなものを紹介するものが勝手に流れてきます。おもちゃ関連は 好きではありますが あまりにも今じゃ手に入れにくいものばかりが紹介されて、自慢の品を見せつけられているようで 好ましく思えません。それに付随してなのか 昭和レトロな画像もたくさん並んでいます。正直、全然楽しくありません。お店で扱っている大好きなものにもかかわらず、どこか冷めた感じで ささっと飛ばしてしまいます。昭和のものばかりが並んでいると、「どこぞの博物館かな?」って見てしまうのです。

そもそも、昭和のものは大好きだけど それだけで暮らすことは自分らしくないと思っています。自分が思い描く暮らしの中で 生かされるものが古いものであり、特に幼いころを思い出させる昭和のものを大切に使って暮らすことが自分らしく生きるということなのです。だから、昭和のものなら何でもいいわけじゃないのです。

普通に売っているもので事足りるなら それでいいのだけど、もし 自分らしさを知り、その自分が暮らす空間を自分が一番輝ける場所にしたいと願うなら、その個性に見合う暮らしの道具が見えてくるはずです。そういうものと ずっと生きていく。それが 自分らしく生きるということなんだと 私は思います。

慌てたって すぐに出来ることじゃありません。願う人だけが気付き、長い時間をかけて 深めていくものなのだと思います。

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ときめく灯り。

わたくし、男でありながらこういうムード満点の照明にときめきを覚えます。何故なんだろう・・・としばらく眺めていたら、ある光景が脳裏に浮かんできました。子供の時にも、大人になってからも感じたときめきでした。

それは 小学生の頃、初めて体験した 体育館での劇の発表会や組ごとの合唱発表会での待ち時間のことです。開演前の暗がりの中、暗幕からもれる少し、紫がかった明かりの怪しさが これから始まる劇や合唱は どんな舞台になるのかっていう、わくわくして 心ときめく場面を思い、気持ちが高揚していたのです。幕が上がり、舞台が明るく照らし出されると 物語に引き込まれていく自分がいました。下手くそな劇もあって がっかりしたことも多かったけど、あの開演前の暗がりと 暗幕からもれる明かりがもたらす効果は なぜか心をときめかせてくれました。娘の幼稚園の劇の発表会でも、同じ感覚になったことを覚えています。そういう 何かを感じる気持ちってのは 子供も大人も同じなんだなと不思議に思います。

さて、この灯りならきっと 灯すたびにあのときめく時間を甦えらせてくれるんだろうなと 思ったりするのです。

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同じ時間を過ごすなら。

スマホのアプリを開けば とめどなく色んな映像が勝手に流れてきます。しかも世界中から。その流れで 次から次へスクロールしていると、少し興味のあるものもあり、全く興味のないものもあり・・・それでも とめどないものだから、気にしなければ ずっと見てしまいます。気が付けば、30分なんかあっという間です。我に帰ると 「もったいない」って思ってしまいます。何か 新しい気付きや発見があれば そういう感覚にならないだろうけど、結局は 得るものはほとんどなく、何かに奮い立てるわけでもなく ただただ無駄に時間を過ごしてしまったと思うのです。うまく使っている人たちには 有意義なものなのだろうと思うけど、余程しっかりと自分を管理しないと 人は流されて、見なくてもいいものに時間を取られていくわけです。でも、これが暇な時だけにしようと思っていても ちょっと時間があれば ついつい見てしまうので 困ったものです。本当なら 見たいと思うものを自らが選び それを心から楽しむことに時間を使いたい。同じ時間を過ごすなら 勝手に流れてくる映像を見せられることには 抵抗したいと私は思っています。

当然、昔はスマホなどありませんから 遊びも自分で作っていくしかありませんでした。テレビゲームも無かったので 自分が一番ワクワクすることが遊びのテーマだったのです。想像は自由。登場人物もストーリーも自分の都合のいいように作るから楽しくってしょうがない。人に与えられたワクワクしないものでは 楽しくは遊べません。そういう時間の中に いっぱいいいものが詰まっていたような気がします。同じ時間を過ごすなら、私はワクワクするほうの時間を選びたいと思います。

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味付け。

雑貨は 人の暮らしに彩を添え、自分らしく住まいたいと願う人にとって無くてはならないものだと思います。人それぞれに趣味趣向があり、その意味合いを知ることは 自分と向き合い、長い年月をかけて 気持ちよく生きていこうとする人だけが迎えられる 目に見える幸せだと思います。だから、飾るための雑貨は いつの時代も必要です。自分だけができる 人生の味付けのようなものですから。 

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夢のまた夢。

電話が一家に一台だった時代、自分の部屋に電話があれば最高なのに・・・と思ったことがありました。でも、当時は夢のまた夢。

今はその夢がかなってしまった時代。青春時代に経験したかったなぁ。

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音楽がお供なら。

キッチンは料理する場所ですが お部屋でもあります。お部屋なので 忙しく調理するだけじゃなくて 外の景色に癒されながらゆっくりとお茶を飲むこともできれば くつろげる椅子に座りながら どんな料理を作ろうか思案するのもいいはずです。リフォームセンターには 使い勝手が良く、素敵なキッチンの具体例がずらっと並んでいて、理想のキッチンをイメージしやすくなっています。ただ、調理に追われるキッチンとは違っています。まぁ、いいものを見れば夢も広がり、お金さえ出せばリフォームできるのですが 今あるキッチンも 考え方ひとつで、過ごしたくなる場所に変わるやもしれないと思うのです。

それには やっぱり音楽が流れてるってことが大事だと思います。CDでもいいし、スマホでも気軽に聴けます。テレビもいいのですが 目を奪われては 作業しながらには不向きと言えそうです。だから、やっぱりラジオです。ながら作業にぴったりなツールです。できれば レトロな鍋や食器の雰囲気を損なわないレトロデザインのラジオが良さそうです。少しいい音で聴けると、新しい音楽との出会いも期待できるでしょう。音楽がお供ならキッチンにいる時間が それまでとちょっと変わってくるのかなと思ってしまうのです。

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自分らしさがなくっちゃね。

私が若くて働き盛りの頃はバブル真っ只中。世の中の浮かれ具合には便乗できたけど、恩恵を受けることもなく過ごしてきました。でも、あの時代 様々なものにスポットが当たり、心惹かれる事柄がたくさん紹介され 知的好奇心を大いに刺激しました。そのおかげで 好きなものに出会い、自分自身を形成、体現できる気付きのようなものを探すことができました。あの時代だったからこそ 本当の自分に気付くことができたような気がするのです。生きる楽しみは外にあり、いかにしてお金をかけずに遊び歩けるかが日常の大部分を占め、出歩くからには 身なりに気を配り 高い洋服を買うことが当たり前でした。いいものを知ることが大切だったのです。でもその一方で、いいものを知れたからこその気付きに出会うことになります。それは いくらいい服を着飾り、スマートに遊ぼうと 家に帰れば寝るだけの部屋でいいのか?ってことでした。勿論、給料に見合わぬ服を買っていたので 家にかけるお金はありませんでした。それに 自分らしさとは何ぞやと自問自答しながら暮らしていたので 好きな音楽や映画や本を探すのに夢中だったもので 部屋作りにまで手が回らなかったのです。でも、だからこそ 自分が気持ちよく暮らせる部屋や家が最も大事と気付くことができたのです。家族のためとか そういうのは勿論あるけれど、何よりも自分が気持ちよくいられる場所は 自分にしか作りようがないって思ったのです。何不自由ない暮らしができればそれでいいというのも違います。家のそこここに 自分らしさがなくっちゃね。って、あれからずっと思ってます。

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扉の向こう側。

新しいお店の内装を考えた時、和室を生かせないかという思いがありました。引き戸のある景色は 懐かしさをもっとも感じられる風景でしたから。だから 扉の向こうには 子供の頃を思い出せるものを置いてみたいと、個人的に好きなものを集める部屋にしようと考えました。田舎で 一番好きだった場所・・・当時の駄菓子屋の入り口もガラス張りの引き戸だったことが理由だったりします。

ガラスの扉を外からのぞくと、漫画や雑誌が並んでいて ノートやちょっとした文具を押しのけて、怪しいくじ引きや安物のおもちゃなどが一番いい場所に並んでいて それはもうワクワクする世界・・・カラフルな駄菓子が暗めの店内を派手に彩って、天井からつり下がったプロマイドやお菓子のパッケージも魅力的。新製品のポスターや企業広告も、とっても重要な情報でした。とにかく 店は古くてもあふれる企業ロゴや 派手な色遣いの雑誌の表紙やお菓子のパッケージがすごく魅力的な世界を作り上げていたのです。小銭を握りしめて 今日も当たる気のしないくじ引きに興じるか、食べたい駄菓子を確実に手にするか・・・引き戸の扉の向こう側は 子供の欲望を引き出し、時に 諦めや大人の事情を垣間見せられる場所でした。でも、そんな何とも言えぬ感情を抱かせてくれたあのお店が今でも 脳裏に焼き付いて離れないのです。

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