食器

輝く人に。

夏のドラマが次々と始まって とても楽しいです。ストーリーは勿論ですが 主人公の生き方にも惹かれるドラマが大好きです。ドラマや映画は あくまでも作り話。それは 分かっていても心惹かれるのは どこかで 「そんな生き方をしたい。」と思う気持ちがあるからです。現実にはありえないストーリーにも 主人公の頑張る姿に 自分を投影して、私にも輝く生き方が出来るような気がする・・・と感じさせてくれる物語・・・そういうものに 人は惹かれるのだと思うのです。

日常は 楽しいことなど殆ど無く、むしろ 苦しく つらいものだったりします。行きかう人の多くは それを感じさせるような気がします。でも、ごく稀に、何かを見つけたくて 目を輝かせている人を見かけます。稀だから そういう人にとても惹かれます。若かろうがお年を召していようが関係ありません。輝く人は そういう生き方をしているのだと思います。

ドラマの中の主人公になれるなんて誰も思わないけど、輝く人を見て 得られるその感情は 清清しく、自分も 同じようにいられたら・・・・そう思わない人はいないはずです。

自分も そうなりたい。きっとなろうと思う。そういう思いは 身の回りの人に 知らず知らずのうちに与えるものがあるような気がするのです。

毎日は しんどく、ただ楽しいだけではありません。だけど、自分にとって輝かせてくれるものは たくさんあるはずです。それに出会う気力は 自分でかき立てるしかないのです。

あの輝くまなざしを持つ人のように、自分もそうありたい。こんな雑貨たちが そう思い起こさせてくれるのです。

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思い出の夏が。

なかなか夏が来ませんが この蒸し暑さは 本格的な夏の到来が すぐそこまで来ていることを知らせているようです。

大好きな夏を前に レトロなグラスがたくさん入りました。誰しもが 懐かしく、幼少のころを思い出させてくれる身近な存在です。花柄やフルーツをモチーフにデザインされた これらのグラスは 現代の暮らしにこそ あえて選びたくなる可愛らしさにあふれています。およそ40年ほど前のこういうデザインは やはり当時だけのもの。いくら 真似ても同じ感覚にはなりません。時代の違いは 技術の差でもありますし、デザイナーの見ているものの差でもあるのです。

現代のものにもいいものはたくさんあるでしょう。でも、思い出というエッセンスの効いた この手のグラスには かなうはずもないと私は思っています。

真っ黒に日焼けして汗だくで遊びまわっていた 幼少時代・・・時々飲ませてくれるサイダーのすがすがしさと 花柄の向こう側で弾ける炭酸の泡・・・今でも忘れられないそのうまさ。あの夏の日の 思い出さえも呼び起こしてくれるレトロなグラス。あえて使う理由は そこにあるのです。

氷のたっぷり入る大き目グラスで 炭酸を注げば あの思い出の夏と同じ夏が やってきそうな気がするのです。

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喧騒を離れて。

この時期、気温も高くなり始め 外でのイベントが色々と企画されています。野外でのイベントは天候にさえ恵まれれば こんなに楽しいことはありません。夏にしか出来ないこと・・・思い切り楽しみたいと思います。

しかしながら、個人的には 人がたくさん集まる場所は苦手です。よほど興味のあることにしか 足を向ける気持ちにはなりません。静かに 自分の思いに集中できる環境がいい。だから 観光地に行くにも 出来るだけ人のいないほうを歩きたいのです。喧騒は苦手。年のせいかもしれません。

仮に 喧騒の中にいなければならなかったその後には、静かにゆっくり過ごしたい。喧騒を離れて 過ごすひと時。この柔らかい色合いが 時の流れのゆったりさを取り戻してくれそうな気がするのです。

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手間暇かけて。

何気にテレビを見ていると お料理番組が入ります。時間の関係で あっという間に美味しそうな料理が出来上がります。そして決まって最後に 司会の人が 「こんなに簡単に美味しい料理ができます。ぜひお試しください。」と締めくくられるのです。

現代人はとにかく忙しいから 手間暇かけず、簡単便利にというのがキーワードになっている気がします。確かに 家電も 便利なものが登場し、忙しさをカバーしてくれることが人気の秘訣になっています。女性も当たり前に 仕事をする時代ですから、少しでも負担の軽減になるのなら・・・と便利なものは どんどん生み出されそうです。

例えば ロボット掃除機。勝手にきれいにしてくれるのですからいいものです。これがスタンダードになる時代が来るとしたら 各メーカーは どんな差別化を図り消費者に アピールするのでしょう。機能的なことは勿論あるとして・・・昔なら 花柄模様だったり、カラフルだったりして 個人の好みに訴えかける工夫があったような気がするけれど 現代の志向は どうやらそこには向かいそうもありません。だから お掃除ロボットしか売っていない時代は 来て欲しくないな・・・と思います。

その昔、便利な調理器具として生まれたのが 耐熱ガラスの食器たち。電子レンジや冷蔵庫の普及と共に たくさん生み出されました。調理から 食卓へ。少しでも手間暇かけず、洗い物も少なく、しかも個性的。そんな理由からたいそう重宝されました。そんなものでも 現代においては やはり手間のかかる存在。なにせ 食洗機のない時代のものですから 食洗機に入れてしまうとプリントが薄くなったり、剥げてしまいます。優しく手洗い。それが基本です。


便利で 手間がかからないことは これからの暮らしのキーワードになることは間違いないでしょう。でも、いつもではなく 時々は 手間暇かけることも必要な気がするのです。

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そばかす。

わたしの勝手な言い分ですが 昔、そばかすのある女の子は 少し魅力的に感じていました。アニメの影響かもしれませんが どこか 自由奔放で 真っすぐで 自分らしさを持ち、相手の気持ちになって思いやることのできる・・・そんな女の子のイメージです。

夢見る気持ちも忘れず、見るもの 聞くものにも感動を覚える・・・感受性の強い娘。まさにアニメの主人公ですね。

でも、普通に暮らす私でさえ そういう気持ちは忘れたくありません。美しいもの見て 美しいと感じ、素敵だと思うことを素敵だと言いたい。ガラスケースに飾りながら 昔見た そばかすの女の子を連想していたのです。

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この街がいつか・・・。

大型連休が終わり、普段にもまして静かな毎日です。連休中は 天候に恵まれず寒かったのですが 観光地やデパート・ショッピングモールなどは きっと人出で賑わったことでしょう。うちのお店は 普段よりも静かで 連休はむしろお休みしてもいいのかな・・・と思うほどでした。わざわざ 連休中に雑貨を探す人などいらっしゃらないということのようです。家族と行動できるのが連休ですから仕方のないことなのです。

雑貨は やはり、一人で時間のあるときに触れ合いたいものです。暮らしをあれこれ想像し、それに似合いそうなものと出会うために 時間を使う・・・とても贅沢な時間の使い方です。出会えたものと一緒に暮らす妄想は それはもう楽しくて、面白くて・・・雑貨の楽しみは そういうところにあります。

でも、やみ雲に歩くだけでは きっと見つけることは出来ません。普段から 感性を磨き、想像できる自分でいなければ、逆に 無駄な時間となりかねませんし、お金の無駄遣いとなってしまいます。時間もお金も せっかくなら自分磨きのために使いたいと思うのです。

いい本や映画や音楽、または芸術は 人それぞれの好みの数だけ たくさん存在します。心に響くものは 早々あるものではありませんが それを探すことは必ず無駄にはなりません。自分を成長させてくれたり、心豊かにしてくれるものです。それこそが 生きる喜び。きっとそう思えるときが来るのです。

雑貨屋というものは 難しい商売です。わざわざ雑貨屋で選ばずとも 不自由のない暮らしが出来る世の中です。雑貨屋がなくても困らない人たちが多いゆえに 雑貨屋そのものが少なくなっているわけです。ただ、一握りの普通のものでは満足できない方々のおかげで 細々と成り立たせていただいているのです。でも、諦めるわけにはいきません。昔のように 暮らしを自分らしく楽しみたいと思う人に 気付いてもらえるよう、うちはうちらしく ご提案し続けるしかないと思うのです。雑貨の世界も 多種多様、色んなお店がいまでも存在しています。きっと自分に 似合う暮らしの提案をしているお店が あるはずです。

たくさんの人が それぞれの好みの雑貨と出会う楽しさを見つけられる環境が整う街・・・この街がいつかそうなりますように・・・そんな事を夢見ているのです。

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家族、それぞれ。

昨年、大学に入った娘は 無事 進級できるとのことで 今は 長い休みをエンジョイ中。でも、ほとんど家にいることもなく 毎日どこかへ出かけ、バイトにいそしむ毎日を送っています。サークル活動に盛んに参加し、いろんな人に出会い 様々な意見に触れ、色んな経験をつんでいるようです。親としては 勉強はしなくていいのだろうか・・・とふと考えたり・・・。今までの学生生活との違いに 戸惑う気持ちも無くはないこのごろです。

いろんな人との出会いは 彼女の人格形成にとって大切なことです。周りの環境が彼女の本質に影響を与え、肉付けされて 自分の考え方を持った大人へと成長させてくれるものと思います。今は 人生においてそういう時期・・・好きなことに没頭させてあげることが 大切なんだろうと思うようにしています。が・・・

自分の意見を持つことは 大事!と思いながらも、この方がいいんじゃないかという親の意見をよそに 我を通すような方向へ向かう様を 決して喜ばしく思えない自分もいるのです。親と子という立場の違いや 年齢(経験)の違いから ささいな衝突(自分が思っているだけかもしれない)が 起こってしまうことを私自身 若干の戸惑いと感じているのです。

でも、親の言うことが絶対正しいなんてことはありません。それに 聞く耳も持たず、相手にされないというもどかしさがあるというわけでもありません。ちゃんと話し合い 納得できる結論に向かうようにしています。

でも、この戸惑いは 何なんだろう・・・。

世の中には 煮え切らないことが山のように存在します。国同士の中にも、政治の中にも、ましてや 最小の組織、家族の中にも それは日々あるのです。違う考えを持った人が集まるだけで それは生まれます。どこかで それぞれが折り合いをつけて 何事も無いかのように日々が重なっていくのです。なぜ、話し合うのに煮え切らないのだろう・・・。

思うに、そこに “同意”というものがあれば おそらくは ほとんどの場合、すっきりとするのではないでしょうか。でも、ほかの意見に同意するって 案外難しいものです。何も考えが無いのであれば簡単です。違う意見がある場合ってのが 難しいのです。

意見が違うからといって それは違うといってしまうだけで 相手を否定することになる。お互いに そう慮るからこそ 本当の意味での同意を得ることが出来るわけです。たとえ 思った方向に行かなくても 同意が得られれば、同意をすれば すっきりするわけです。きっと 難しいことじゃなくて 「そうだね。」と飲み込んでくれて、その後に 「でもね。」って
やり取りがあるだけで すっきりとするはずだと思うのです。

たとえ家族だって それぞれ考え方が違うのは当たり前、むしろそうでなきゃ困る。でも、肝心なところでは お互いに 「そうだね。」って 言い合えるのがいいのだろうと思うのです。すごく難しいのですけれどね。

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心惹かれて。

春の嵐は この冬一番の大雪を連れてきました。気温が高いせいか重くて 除雪が大変です。ひと段落して パソコンに向かっていますが ゴ~っという風の音とともに 横殴りの雪が伴って、また雪はねか・・・といささか うんざりモードになっています。

こんな日に お客さんが来る気配もなく、それでも お休みで無い限り 休むわけにもいかず・・・一日まったり・・・という日も少なくありません。そんな日は ゆっくりと調べ物をしたり、趣味に関するホームページなどを見ながら時間を過ごします。そんなときには やはりコーヒーが欠かせません。で、 先日 グラスベイクのマグをお店用に買いました。使うには影響はありませんが 少しかけがありお安く出していたものでした。グラスベイクのマグは たっぷり入るので そんなまったりする時間にはぴったりなのです。

インスタントコーヒーを多めに入れて、お湯を注ぎます。ミルクガラス特有の透ける感じに ぐっと来ます。アメリカのドーナツハウスの景色がコーヒーの色合いで リアルに浮かび上がってきて・・・そんな たいして美味しくも無いコーヒーが 少し特別になったような気がしてきます。それこそが ミルクガラスの魅力なんだと 再認識するのです。

いい時間を一緒に過ごす素敵なお伴・・・そういうものに心惹かれるのです。

そんな心惹かれるミルクガラスがアメリカより届きました。ファイヤーキングのミキシングボウル LLとSサイズの五個セット(セット販売ではありません)です。箱入りのデットストックでの入荷です。

赤からオレンジのグラデーションがとても綺麗です。でも、興味のない方には ただの派手な色の食器です。普通、赤い食器が食卓に上ることなどまず無いでしょうから。でも、私には 見た瞬間、ある光景が目に浮かんできたのです。

ずいぶん前ですが あるお店に行った時のこと・・・裏庭へと導く看板があり、見に行ってみました。そこは 苔むした岩があって 和風の庭園という感じでした。道に沿って歩いていると ぽつんとその花が咲いていました。か細い茎が4~50センチほど伸びていて そのてっぺんにソフトボールぐらいの大きな花が咲いていました。その か細い茎とは対照的な大きな花は そよ風に揺れて・・・それでも折れてしまうような弱々しさもなく、すぅ~っと背伸びするような感じで 立っていたのです。それが なんとも神秘的で とても素敵でした。

かみさんに 「この花なんていうの?」と聞いたら 「オリエンタルポピーじゃない。」って答えてくれました。それ以来、私の好きな花は?と聞かれたら 「ポピーです。」と答えようと思ったのです。男の私に 聞く人などいませんが・・・。

ただ、うちの庭にもあるのですが その時目にした光景とはどこか違い、その時の神秘さを感じることが出来ません。あの環境で 咲いていたからこその美しさだったのだと思います。

この赤のグラデーションの食器が いつでも あのポピーの咲く景色へと誘ってくれる・・・そう思えてならないのです。ヴィンテージでちょっと珍しいからとか、可愛いからとか、そんな理由から好きなわけではありません。興味の無い方にとっては 派手な食器でしかないかもしれませんが 私にとってこの食器は 好きな時間へと導いてくれる素敵な道具なのです。

ゆらゆらと心惹かれて・・・また 欲しくてたまらん気持ちが騒ぎ出しています。

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意外と大事。

私が大好きだったカフェは 今はもう無く、記憶の中だけの大切な場所となっています。
このブログでも何度もお話してきましたが その店の調度品、音楽、置いてある雑誌、食べ物、スタッフさんの佇まい・・・そこで過ごす時間・・・すべてがお気に入りでした。一つ一つ違う椅子も 古いテーブルも、使い込まれたからこその雰囲気・・・それが いい時間を運んでくれていたのだと思います。
おおむね、見渡すと どんなお店でも その雰囲気は伝わってきます。でも、案外 小物の一つ一つにまで 配慮を感じることは そんなにありません。食べ物屋さんであれば 食べものが美味しいことが一番かもしれませんが お店を気に入る要素としては メニュー以外のことにも多分に配慮している・・・そんなことで そのオーナーさんの思いを受け取ることで よりそのお店に行きたくなるという気持ちにさせてくれるわけです。食べ物が美味しいだけじゃない。お気に入りのお店は そんな風に 心に浸透してくるのです。
食器にこだわったりするのは 高級なお店だったりします。でも、どんなお店でも おざなりにして欲しくはないな・・・と思います。せっかくの時間を過ごす場所として ゆっくりもてなすことを目指すお店であれば せめてもの表現の一部ですから。物言わず語ってくれるもの・・・やはり 大事な気がしてなりません。
ただ、大好きだったお店は 料理が運ばれる前の テーブルの景色さえ素敵に感じました。ガラスの小瓶に 無造作に 道端に生えていそうな小さな花が活けてあり、カフェではお決まりの 砂糖入れや塩コショウのボトル、そして 灰皿までが そのテーブルに似合っていて、運ばれてくる水の入ったグラスにも 共通する雰囲気を感じることができたのです。注文した料理を待つ間、煙草を吸いながら 汗をかいたグラスの向こうに 見え隠れするその テーブルの小物たち・・・。こういう店主さんの気遣い・・・というか 趣味というか そういうものに触れて初めて、自分にとってのいい時間が流れていくのです。
料理が美味しいのは当たり前の条件だとしても 通いたくなるお店に私が求めるのは そんな小さな気遣いだったりするのです。テーブルの上の小物たち、どんなテーブルにしたいかのイメージを決めるのは 案外、食器も大事だけど そういう小物たちのほうが 意外と大事なんじゃないかと思うのです。

それはお店だけじゃなく 自分が暮らすテーブルにも同じことがいえる気がします。こんな小物でも自分らしく選びたい。そんな風に思うのです。

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追伸
2月のイベント「冬のマルシェ」も28日までです。メンバーズカードをお持ちいただき お得にお気に入りを見つけにいらして下さい。

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探求のお伴。

毎日の暮らしの中で いろんな場面で欠かせない飲み物は コーヒーです。私は 豆や入れ方にこだわりは無いので、インスタントでも何でもかまいません。ただ、朝飲むとき以外は ちょっと特別感のある飲み物だと思っています。

例えば、何か調べ物をするのに 本を読むときや 知識の無い興味の引かれるものに出会い、知りたい!と好奇心を刺激されたとき。そんな場面に コーヒーは欠かせない飲み物だと感じているのです。

本当は その深い香りや味わいにこだわれれば もっといいのでしょうが、コーヒーに関しては そういう気持ちが湧いてきません。残念ながら。それでも 好奇心を高めるのに大切な お伴としてのコーヒーが好きなのです。

ただ、そんな場面では コーヒーそのものよりも 読みたい本にあわせて カップを選ぶことにはとても興味があります。あったらいいだろうな・・・そう思っているのが このカップです。

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1950年代から60年初め頃まで製造された ファイヤーキングの「ゲームバード」というシリーズのマグとクリーマーです。鳥好きの方の間で人気・・・と言うことらしいですが 私は 少し解釈が違います。ゲームバードとは 狩猟の対象として重要な鳥類という意味らしく、古くから 狩の対象として狙われた鳥類な訳です。人が生きる営みとして狩猟というものがあり、それは 後に欧米の紳士のスポーツ・・・というか 限られた人の趣味的なものへと捉えられるようになりました。決して 狩猟に憧れるとか、やってみたいとか そういう気持ちはありませんし、狩猟する人の気持ちを理解できるものではありません。でも、その背景を思い描くとき、軽い遊び心とか 理性を取っ払ったものでないことを想像します。そこには 男たる紳士たる物腰というものを感じるのです。

狩猟に出かけるときのいでたちは エルボーパッチの貼られたノーフォークジャケットに ハンティングキャップ、足元は 編み上げのハンティングブーツと 伝統的なファッションに身を包むという紳士の作法がありました。それが 後にメンズファッションとして 確立され現代に至っています。それらのアイテムも 本来の姿を変えた解釈で 伝わっており、現代では何でもありの男服になってしまいました。ハンティングキャップは ハンチングと言われ、編み上げのハンティングブーツは アウトドア用のお洒落アイテムへと変わってしまったわけです。

当時においても、狩猟と言うのは一般的ではなく 一部の紳士のたしなみでありました。でも、メンズファッションに 取り入れられたのは 何でもありになってしまったファッション(昔にもそういうことがあったのです。)に もう一度伝統的な 紳士たる身だしなみを・・・と取り入れられたものでした。当然、狩猟に出かけるためではなく スポーツ観戦や T・P・Oに合わせるためのアイテムだったのです。トラッドを扱うお店のディスプレー小物にデコイが飾られていたのもその背景があったためです。

伝統を守り、それを現代ファッションに取り入れることは 繰り返し行われてきました。でも、その背景を知っているのと 知らないのでは あまりにも違いが生まれるのです。それこそ、今 そんな格好をしようものなら 時代錯誤もはなはだしい。と指を指されかねませんが 私は一向に構いません。出来るものなら そういう場面では そういう身だしなみに身を包みたいのです。(でも、悲しいかなそんなメンズファッションのリバイバルは もう絶対に来ないでしょう。)老舗のバーに出かけ、「おや。今日はスポーツ観戦の帰りですか?」などと バーテンダーとの会話を楽しみたいのです。

そんな事を思いながら、読む昔の雑誌や本のお伴には コーヒーが欠かせないのです。ツイードのジャケットとゲームバードのマグカップ。選ぶ背景には そんな意味があるのです。

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