思うこと

いろいろあるけれど

3月に移転してきて はや半年が過ぎました。移転当初は 何故かたくさんのお客様が来てくださり、似つかわしくない賑やかさでしたが さすがに、夏が過ぎ 秋の気配が漂うこの頃では すっかりと元々の静けさが戻ってきています。

それでなくても この辺りの風土なのですが、車の走行音も無く、人通りもまばらで たくさんの人が住んでいるのに とても静かなのです。以前のお店は 大きな道路沿いにあったので、車の振動や騒音がそれなりにありました。そして、交通量が多いこともあり たまたま見かけて 覗かれる方もそれなりに居ましたが この場所に至っては そのような偶然に見つけてもらえる環境では まったくないのです。

普通に考えれば どんなお店でも、人が来ないと商売にはなりません。偶然であっても また来てくれるかもしれない可能性を期待して、目立つ場所にあるほうがいいに決まっていると思いがちです。SNSの影響で そうも言いきれない時代も来てはいますが、人の気持ちは 移ろうもの・・・。何が正解かは 誰にもわかりません。

でも、私は この店に出会えて心から 本当に良かったと思っています。目立たず、車通りも人通りも無く ともすれば一日話すことも無く終わってしまいそうなくらいの静かな毎日だけど、この静かな環境が 私の思う雑貨屋としてのあるべき姿だと思うのです。

私が 若い頃通っていたお店は どのお店もとても個性的で その店独自の品揃えで、休みの前日の夜から 何と出会えるかわからないワクワクを覚えながら、じっくりと自分と向き合う時間を楽しむことができました。そういう、集中できる環境の整った店ばかりでした。古いもの好きにとっては 蚤の市や骨董市も魅力に感じて 通ったりもしましたが 途中で「何か違う・・・」と感じて、全く行かなくなりました。人ごみの中で 慌ただしく探さざるを得ないことが嫌になったのです。せっかく、自分と向き合うための古いものとの出会いなのに 楽しめないのです。それは私だけかもしれませんが そういう環境では 思い描くこと以外のことに気持ちを持っていかれる気がして げんなりするのです。

だから、私が考えるお店は 静かであり、イメージすることを邪魔しないことが大事だと思っています。そういう意味で、今までのどの店よりもいい店だと思っているのです。人が来ないのも仕方ない。でも、来てくれた人に せっかくの大切な時間を一番好きな時間だと感じてもらうための環境だけは きっと自分が好きで通ってきたどのお店よりも、整っていると私は思っています。

「いろいろあるけれど 花が咲いている」

広告のコピーのセリフに 自分の暮らしを照らしてみたら・・・奥底にある自分の気持ちが少しだけ鮮明に見えてくる。そんなお店になりたいと思っているのです。

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イメージすること。

物価高で 食品にかかる費用は確実に増えています。だからと言って 食べないという選択肢はなく、私のような庶民はどこかを我慢して 耐え忍ぶしかありません。でも、やっぱり 好きなものをあきらめることはできず、趣味のものは増え続けています。

それは 自分のこの先の暮らしをどんな風にイメージするかが 見えているからです。心の底から 嬉しい・楽しい!というものがあることで それをどんな風に 暮らしに取り入れて どんな風に生きていくのかを思い描き 実践していくだけのことだからです。人にとって無くてはならない感覚(生きる喜び)をあきらめるわけにはいきません。好きなこと、興味のあることを発見し それを追い求めていくことが自分を生かすことだと知り 色んな事柄を積み重ねてきました。人の生き方は それぞれだけど、せめて自分が心から愛してやまないものに気付き、それを大切にして生きていくイメージは あなたは出来ているでしょうか。実は それを探すのがとても大変。それを探し求めるのが人生ともいえます。

イメージすることは夢を見ることとは違います。実際に進むべき道は自分にしか見えず、一歩一歩進んでいくことは 他力には任せられませんから。普段からそういうことを少しでも思っていたら、きっと 探し求めるものは自然と表れて、目に飛び込んでくるようになると私は思っているのです。

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売ってはいないもの。

新しいお店をオープンして 一週間が過ぎました。たくさんのお客様が来てくださり、お祝いのお花や差し入れを頂戴しました。本当にありがとうございます。ほとんどのお客様が「このお店のほうが好き!」と言って下さり ほんとに頑張って良かったと胸をなでおろすことができました。そもそも、パスティーユは 品物だけを売っているお店にはなりたくないと思い 始めたお店です。そのために 妥協せず内装に時間をかけるのです。少しだけ日常を離れ、かといって逸脱しすぎず 普段の暮らしが豊かになるような空間が目の前に広がっている・・・そんな場所に身を置くことで 何かを感じて気付くことや、ちょっと気分のいい暮らしが想像できたりすることは 素敵で贅沢な時間の使い方だと思います。そんな場面を目の前にし、視覚や感覚で感じたことは 普段の日常に ぱっと明るい道を照らしてくれるように感じられることもあるに違いないと思うのです。そういう気付きはお金を出しても買えないのです。自分の中にある ちょっと素敵だと感じる気持ちを大事にして欲しいと思うのです。

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心地よし。

心地いいことって 色々ありますが 雑貨は暮らしを心地よくするものだと思っています。

お日様で干した シーツやタオルケット、お布団なんかは 心地いい代表ですし、窓を開け放して 吹き抜ける風も心地よい。それと同じように 古い木の天板の 木目や触り心地・・・それに似合う食器選びや、そこで食べる食事。ふと見上げた先にある 可愛い時計や個性的なファブリック・・・そんなものが 心地よい暮らしを作り出していきます。

心が穏やかでいられること・・・誰に用意してもらえるわけでもない、自分にしかできない心地よさを 見つめていきたいと思うのです。

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こんな風に暮らしたい。

お店に来たことのない方、ブログでしか見たことのない方は もしかして勘違いされるんじゃないかって思うのですが この写真は誰かの部屋ではありません。このブログの写真すべてですが うちのお店の店内を写したものです。家具が売れれば 代わりのものが入荷し、その雰囲気に合わせ お部屋のイメージが変わっていきます。この写真は 今現在の店内ということです。

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雑貨店というのは 棚に商品がたくさん並んで販売されているお店がほとんどです。でも、うちは最初から 実際にそこで暮らしている様子を感じてほしいので ずっとこのスタイルを続けています。お店としては 大変厳しいやり方をし続けています。せっかく ご来店いただいても、この雰囲気に何も思わない人にとっては 欲しいものなどあるはずがありません。本来は 人気商品が大量にあり、どんな人にも何かしら気に入ってもらえるものを品揃えしなければ お店は存続できません。だけど、そういうやり方を選ぶことが 私にはできません。好きな家具を、それに似合う雑貨を合わせて 暮らしを想像してもらうことこそ どんなに楽しいことか知ってほしいと思っているからです。

積み重なった年月がもたらす いい雰囲気の家具。そして、どこにでも売ってないものの中から 自分好みの雑貨を選び 暮らしに取り入れる。そんな暮らしの中から 得られるものって 何なんでしょうね・・・私は知っています。だから このやり方なのです。

今現在のお店は そのまま取り入れたいくらい大好きです。こんな風に暮らしたいと言える 具体例です。この景色の背後には いい音を出すオーディオセットがあり、少し大きめの音量で 音楽も楽しみながら お茶を飲み、読書をし、趣味を楽しむのです。

家を持つことが 終着のように言われたりします。でも、そうではありません。ある意味、家よりも暮らすための道具のほうが 重要で、大事なのです。古いものの持つ魅力を知る人にのみ 伝えたい景色です。

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ハツラツキッチン。

お店のディスプレイ用に タイル張りのキッチンシンクを作りました。あくまでもディスプレイ用なので 実際に使うことはできませんが 懐かしの台所の雰囲気は再現できたと思っています。やっぱり、生活感が見える中で 使う雑貨はとても素敵です。なぜか 古い映画のアメリカのキッチンの風景にも見えます。置いてあるそのほとんどが 50年ほど前の日本製なのに・・・。皆さんが ご実家で見ていた鍋や食器と同じものであっも きっと違って見えるに違いありません。昔のキッチン事情が あまりにも画一的で面白みに欠けるものだったからです。でも、キッチングッズは 輸入されたものの感覚をイメージして作られていたので キッチンの環境が変わるだけで まるで外国のキッチンのようになるわけです。

ただし、今の時代のキッチンの考え方も ものを置かず、シンプルにして ごちゃごちゃとさせないことを良しとしているように感じるので、こんな賑やかな感じを目指す方は少ないことでしょう。でも、決して広いとは言えないシンク回りのこのハツラツとした楽しいキッチンは ここに立つ人の表情まで映すように感じるのです。鼻歌まで聞こえてきそうです。使いやすく、掃除しやすくってのも大事かもしれませんが、私が思うのは キッチンに立つ人が仕方なく・・・とか 疲れているのに・・・と思いながらの作業ではなくって 鼻歌交じりで 楽しめる環境を作ることのほうが大事って思うのです。だから、台所を主に使わない私としては ノータッチ。口をはさんではいけないと思っています。楽しく ハツラツと立っていてほしいと思うからです。可愛いと、素敵だと思うように 存分にやって欲しいのです。その様子を見ている側も なんだか嬉しく思うものなんじゃないかな・・・そんな風に思うのです。

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普通に生きる。

いつものお店への道すがら、道路を渡ろうと 横断歩道に杖をついたお爺さんが立っていた。速度を緩め 少し手前で止まり 横断を促すと、お爺さんは手を挙げ ありがとうと合図をし ゆっくりと横断歩道を渡った。渡りきったところで もう一度手を挙げお礼を言ってくれた気がした。自動車免許を持っていれば 横断歩道で歩行者が横断する場合、車を止めることは当然のことである。歩行者優先は どんな場合においても守らなければならない決まり事なのである。ただ、その時の 車の込み具合や スピードや道路状況により、後続車との車間がないなどの場合は 急に止まると危険な時があるので 何でもかんでも止まればいいというわけでもなく、一瞬での判断をしなければならず 難しい判断を求められる時もある。その反面、横断歩道で待つ人がいても お構いなく車を通行させるドライバーもたくさんいる。後ろが詰まっていればなおさらだ。止まらなきゃとわかっていても やむを得ず止められない時もある。でも、問題なのは 止まらなきゃと考えるドライバーと 止まる必要なしと考えるドライバーが混ざっていることだ。横断歩道で止まっているにもかかわらず 対向車がいないことをいいことに 追い越しをかけるドライバーもいるから かえって危ない場面もあったりする。それが問題なのだ。

しかし、ドライバーとして当たり前のことをしたにもかかわらず お礼をされるのは気持ちのいいものだ。歩行者もドライバーも当たり前のことをしているのだから お礼を言う必要もなければ、いい気分だと感じることも 本来なら無いはずだ。どこかの通学路では 横断歩道を渡りきったところで帽子を取り 頭を下げる小学生がいて、その地域での歩行者優先の意識はとても高いとニュースで見たことがある。これも本当なら おかしな話であるはずが 小学生の行動が ドライバーの当たり前に守らなければならない交通法を守らせてくれているのである。こういう行動は お互いにとても気持ちのいいものだ。歩行者が一方的に権利を主張して何でもありの行動をとれば それこそ事故を引き起こし、ドライバーにとっても歩行者にとってもいいことは一つもない。命を左右する問題となる。それだけは 避けなければならないのです。

そうやって、ルールや守るべきことを守ることで 穏やかで有意義な人生を送ることができます。心がささくれ立つようなことのないよう 普通に生きていきたい。普通の暮らしの中で 喜びを見いだせるのも 心穏やかにいられるからに違いありません。

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暮らしの跡。

若いときは あれも欲しいこれも欲しいを繰り返し、積み重ねの暮らしを送ってきました。しかし、いい歳になり お客さんからも「もの増やすのを控えないと・・・」って聞くようになってきて、本当にそうなのか・・・って考えることもあります。

“断捨離”という言葉がどこかからか聞こえてきて、それに共鳴する人が多いということなのでしょう。社会問題としては 親の残していったものを片付けるには 相当の費用がかかる。とか ゴミ屋敷の片づけにほとほと手を焼いているとか・・・そんな話もよく聞こえてきます。だから 身内に迷惑をかけずに暮らすことがいいことなのだと ある年齢を迎えると考えるようになるわけです。そんな風に考えることも理解はできます。大半の人はそう考えるはずです。若い人にとっては 親の使っていたものは そのほとんどは不用品です。おそらく 捨てるには惜しいものは残しておこう位の価値しかないと思っているはずです。それはその通り。ほとんどは要らないもの。片付けなければならないのです。だから、ものを増やさない暮らしを選ぶ人が増えていたりするのです。

でも、惜しげもなく処分してしまえるには 理由があるような気がしています。それが その人が残してきたものが 何の責任も感じず、買い求めてきたものであふれかえっているからです。そういうものを残されたほうは たまったものじゃありません。もしも、買いそろえたものが子の世代からも素敵に感じて、使い続けられるものだとしたら、そんな風にならないって 私は思います。それには 普段から、「いいなぁ。」って 感じてもらえるような暮らし方をしていなければなりません。つまり、受け継がれるものの多い暮らしを送ることだと思うのです。勿論、趣味が違うとか、暮らしぶりが違うとかそういう理由はあるにせよ、終の棲家を手に入れたなら そういうものたちと暮らしたいと思ってもらえるようなものを責任をもって選ぶことなんだと思うのです。と、ここまでは こだわって暮らしている人ならできるお話です。でも、もっと踏み込まなければ その大事にしているものに対する思いは伝わりません。選んだものたちをきちんと飾り、その景色そのものを素敵だと感じてもらわないと 受け継ぐんだ・・・という思いには届かないと思いますから。

もし、そんな思いで あとの余生暮らしていけたら 決して、残されたほうにも迷惑をかけることもないだろうと考えているのです。残すべきは、財産!と言いたいところだけど そこは少し難しい。だから、生きた足跡というか・・・せめても残せるのは 暮らしの跡。それをどう考えてくれて 若い人の暮らしに生かされるか、それを今のうちに しっかり見せておきたいと思うのです。景色を彩るように飾ることも大切。家と家具が似合っていること、その家具に似合う雑貨や食器がそろっていることも大切。何よりも 暮らしに根付いているか、住む人の生き方を語るものであるかどうか・・・大切なことがいっぱいです。

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もうすぐクリスマスに、お正月を迎えます。うちのイベントはこんな感じだよ。よかったら帰っておいで。

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カウンターでつまみ食い。それもいいか。

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好きな取り皿とグラス持っておいで~

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ま、好きに座って 自由にやろう。

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あっちで盛り上がってるのは さておき、ゆっくり語らうのも たまにはいいかもね。

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追伸 17周年のイベントも今週末で終わります。お得な機会をぜひご利用くださいませ。

 

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お洒落になろうよ。

「お洒落になりたい。」漠然と考えるテーマです。でも、そもそもそう思う人はどれくらいいるんでしょう。ファッション雑誌を見て、この服 可愛いから買おうって 通販サイトで購入することはお洒落というんでしょうか・・・流行りのブランドを着てれば、古着を着てれば お洒落なんでしょうか・・・なんか 違いませんか?かつて、ココ・シャネルは 女性の生き方や、意識に影響を与え ファッションという観点から多大な影響を及ぼしました。そんなブランドのバックを持っているからお洒落なんですかね。私は違うと思うんです。大事なのは その思想を理解し、自分もそうありたいと思うことが お洒落だと考えます。それを持つには理由があり、それを着るにも理由がある。そういう人の生き方をお洒落っていうんだと考えます。

決して、一流品だけをさすものではないことを様々な人から学ぶことが出来ます。得てして、そういう人の生き方は その人だから出来るものだと感じます。ファッションだけではないのです。暮らしに係るすべてのことがその人らしいと言えるものです。そういう暮らしの中から、その人の考え方や思想が垣間見えたとき “お洒落”を感じることが出来るのです。

「お洒落になりたい。」言葉にすれば簡単です。でも、本当のところは誰もがそこに到達出来ない 難しいことであると思います。一生をかけて自分なりに それを達成できるかどうかわかりません。でも、そう思うだけで 生き方は変わります。思わなければ そのままです。

人生の目標は 人それぞれです。どんな終わり方も自由です。でも、せっかくなら「お洒落になろうよ。」って自分に言い聞かせて、一日一日を過ごしていきたいと 私は思うのです。 

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理想のお見本。

帰宅してからの もっぱらのお楽しみはやはり、テレビドラマです。とりあえず 片っ端から録画して、興味のない番組しかやっていない時に 繰り返し見たりします。で、最終的に 残しておくべきドラマはDVDに焼いて保存します。でも、わざわざ保存したくなるようなドラマは あまりありません。どんなに話題のドラマでも 残すべきと思わなければ さっさと消してしまうのです。どんどん新しいドラマが放送され どんどん消えていきます。繰り返し見る時間も無いので よほど気に入ったものじゃないと もう一度見たい!という気持ちになりませんから。

で、今頭に浮かんでいるドラマというのは 「夕暮れに、手をつなぐ」です。あまりにも現実感がなくて 内容はさておきますが 主人公の2人が居候する 夏木マリさんの家・・・というか暮らしが私には理想に思えるのです。

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代々引き継がれた味のある日本家屋。おそらく 調度品も引き継がれて使われて、家と共に味わいを増し馴染んでいます。間取りも少し変わっていて 開放感が感じられ、縁側から望む 庭の景色も その家の一部・・・座卓で食事するのも生活感があって 昔からそうしてきたのだと感じさせます。暮らす人が 変わって、若い人に合わせるっていうんじゃなくて 若い人だって その暮らしを尊重し、合わせて暮らしている。庭も特別な空間ではなく あくまでも家の一部、お部屋の一部と感じられます。

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夏木マリさんは 絵をかいている。もともと芸術肌の人。ものを持たない人ではなく、自分の感性で集めたものがごちゃごちゃと混在する中で暮らしている。でも、センス良く飾ることのできる人。そして、印象的だったのが 大きなステレオから流れてきた シュガーベイブの「ダウンタウン」のレコードの音・・・山下達郎さんか伊藤銀次さん?のギターから始まるその曲が流れたとたん、その音質の良さとほどよい音量は 家中を満たし始めて、若い人たちを陰ながら応援しようという あったかい気持ちを表しているように感じました。自分の若いころの 何かを挑戦しようと頑張っていた時の気持ちを重ねるように・・・そんな選曲だったような気もします。ファッションにも造詣が深く 自分らしさを知り、その家の暮らしそのものが 自分の生き方になっていると感じたのです。

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ありきたりのもので 暮らしに不自由がなければ何でもよし、聞くものも着るものも流行に合わせてどんどん変わり、自分に合わなくても 面白いといわれるものに影響され どんどん時間を浪費していく・・・その先にいったい何が残るのだろう。そう思わせてくれたのです。

このドラマの夏木マリさんの生き方は まさに、自分が思う暮らしの理想・・・見本のようなものです。ドラマの見方って人それぞれだけど、その暮らしぶりがいつでも見返せるように このドラマは 保存版になったのです。

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